日別アーカイブ: 2014年3月23日

めぐみのパンくず

“しかし、もし行っているなら、たといわたしの言うことが信じられなくても、業を信じなさい。” ヨハネ10:34

◎時は冬であり、宮きよめの祭りだったとヨハネは記します。宮きよめとは神殿奉献の祭りで、かつってシリヤの王によって偶像化されたものを、もう一度神さまの宮としてささげなおしたことに由来します。しかし、真の宮はイエスさまの復活にあることをイエスさまは以前話されました。ヨハネ2:20。

◎ユダヤ人達にとっては気をもませるイエスさまの姿です。信仰がないといらだちます。羊でないと彼らはイエスさまの言われることが受け入れられません。その上にイエスさまが「わたしと父(神)とは一つです」のおことばに、ユダヤ人たちは怒りをあらわにし、イエスさまを撲殺しようします。そこで語られたのが上のみ言葉でした。

◎イエスさまがまこと神の御子であることの証拠にご自身の〝業“を信じなさい、そうすれば神さまとイエスさまが一つであることがわかるだろうと言われました。信仰の世界は見えないお方を見ているがごとくに信ずる世界ですが、振り返って、何故信じることが出来たかを考えますと、三位一体の神さまがして下さった業をしり(あるいは見たから)信じたのですね。一番の大きな御業は十字架と復活です。昇天されたことも業に入るでしょう。

◎しかし、その前に、イエスさまを信じた人々の業、その信仰生活、よろこびの証しを通して「それなら、私も信じてみたい」と思ったのではないでしょうか。鰯の頭も信心ではなかったと思います。弟子たちは「見たこと、聞いたことを~」使徒4:20と言いました。聖霊の働きによる聖徒たちの内になされ現されたた一つ一つの業、キリスト者はそれを見続けて行くのです。一人の信徒の言葉。「証しを聞くことは、私が信じている神さまはこんな素晴らしいお方と思うと嬉しくなってきます。」と、聖徒としての行状を大切に歩ませていただきましょう。