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めぐみのパンくず

ここにおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。”マタイ28:10

◎死んで墓に葬られた人は、その骨が残ります。イエスさまの墓は空っぽです。アリマタヤのヨセフとニコデモによって十字架上で息を引き取られたイエスさまの遺体は墓に入れられました。大きな岩で閉じられた墓です。マグダラのマリアをはじめ女たちは遺体に香料を塗ろうと出かけましたが、墓石を動かすことはできませんでした。おまけに番兵が監視していたのです。地震が起こり、石の上に天の使いが座ってマリヤたちに言ったのが上のことばです。

◎主は現在のキリスト者のとって、どこにいて下さるのでしょう。よみがえられた主がキリスト者を放っておかれるはずはありません。

◎第一に、キリスト者と出会ってくださった所におられます。ペテロは漁師の時、イエスさまのお言葉ですからと、網を降ろすと大漁になりました。ガリラヤ湖の海底を見られる主は、罪びとの心をも見通しであることを深く知りました。時に、キリスト者は初めに帰って、主の救いに与ったことを感謝の思いをもって主にお目にかかるのです。

◎第二に「天上のキリスト」と、祈りによってお会いするのです。イエスさまは永遠の大祭司となってとりなし続けておられるのです。ですから、イエスさまは「完全に」「いつも」(口語)救うことができなさるのです。十字架で流された血潮を一滴たりとも無駄にせづ、天に引き上げ今も注ぎ続けて下さっているのです。ヘブル7:25

めぐみのパンくず

 

“ヒゼキヤは主に祈って言った。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、万軍の主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。主よ。おん耳を傾けて聞いてください。主よ御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセナケリブノのことばをみな聞いて下さい。”     イザヤ書 37:17

◎四面楚歌と言う言葉があります。どこにも助けがないと思える状態です。そのような困難の時、ヒゼキヤの祈りを思い出したいのです。

◎大国アッシリアの軍隊(18万5千人)がエルサレムを十重二十重に囲みました。軍長ラブシャケは、ユダヤ人にもわかる言葉で大声で脅迫します。「いったい、お前は何に拠り頼んでいるのか。」と。この脅迫に対してヒゼキヤ王はどう対処したのでしょう。

◎第一に民に「沈黙を守れ」と命令したのです。困難な時、わめいたり、叫んだりしやすいものですが、命令通り民は「一言も答えなかった」のです。沈黙の勝利です。

◎第二に脅迫文が送られてきたとき、ヒゼキヤ王は使者の手から手紙を受け取り、読み、主の前に手紙を主の前に広げて見せたのです。「神さま、敵はこんな風に脅迫しています。」手紙の内容は偶像を信じる数々の民たちがアッシリヤに滅ぼされたことでした。ヒゼキヤは上のみ言葉のように祈りました。「祈りを聞きたもうお方」信じる信仰者は幸いです。神は聞いておられます、見ておられます。そして切実に訴える者の祈りには必ず答えて下さいます。神は敵の大軍を一晩のうちに滅ぼされたのです。

 

めぐみのパンくず

正義を行なう者、まっすぐに語る者、強奪による利得を退ける者、手を振ってわいろを取らない者、耳を閉じて血なまぐさいことを聞かない者、目を閉じて血なまぐさいことを見ない者、このような人は高いところに住み、そのとりでは岩の上の要害である。彼のパンは与えられ、その水は確保される。   イザヤ書33:15.16

◎ユダヤ教のラビ・シムライは「シナイ山でモーセは613の掟が与えられたが、ダビデが来てこれを11に(詩篇15:2-5)まとめた。次にイザヤが6っつにし、これを3つに(6:8)、アモスは「あなた方は求めよ、そして生きよ」(5:4)と言う2つにまとめた。そしてハバククはこれを「義人は信仰によって生きる」と言う1つ(2:4)にまとめた」と語っています。

◎人間が聖なる神さまのみ前に出ていくことのむつかしさ(不可能と言ってもいいでしょう)。モ-セの律法にはじまり、預言者たちはその戒めをいかに要約すれば、神に受け入れられるか、祈り苦闘したと思います。預言者ハバククはただ1つ「義人は信仰によって生きる」と宣言、使徒パウロはこの信仰義認を見事にとらえて、キリスト教信仰がこの一句に凝縮されていることをローマ人への手紙で表しています。

◎モーセからハバククに至るまでの途中、イザヤが宣言した6つの掟も信仰義認をいただいたキリスト者には大切なことだと思います。イエスさまは律法廃止論者では決してありません。むしろ成就のために来られました。(マタイ5:17)どんなに無力であったかを深く知り、そこから救われていることに感謝したいと思います。