めぐみのパンくず

“「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」”ヨハネ8:11

◎聖書は私たち一人一人が神の前に立たなければならない時が来ることを教えています。ヘブル9:27信仰者と未信者には決定的な違いがあるということです。それは救い主イエス・キリストが私たちの罪を十字架で赦して下さったがゆえに、助け主、弁護人となって神の前に立たせて下さるということです。

◎ここにおいて小さな法廷を見るようです。罪人は姦淫の現場を捕えられた女、訴える者は律法学者とパリサイ人、イエスさまは判決を下す判事の役目を。律法学者、パリサイ人はこの機をとらえてイエスさまを試し、告発しようとたくらんだのです。イエスさまが律法に記されている如く、「姦淫を犯した者は石打の刑だ」といわれれば、「それではあなたが日ごろ伝えられている愛はどうなるのですか?」と言い返し「神は愛だから、赦すべき」と言われれば「神の義は立たなくなる」と、イエスさまを責めようと待ちかまえていたのです。しかし、イエスさまは沈黙の中、地面に指で何かを書いておられるだけでした。聖なる沈黙、雄弁は銀、沈黙は金でしょうか!

◎律法学者、パリサイ人は問い続けます。イエスさまは身を起こし言われました。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げよ。」と。雷鳴が響きわたるごとく人々の心に突き刺さります。興味深いことは「年寄りから」去って行ったことです。人はイエスさまの血潮による贖いの赦しと聖さを受けない限り年齢を増せば増すほど罪を重ねて行くのです。そしてその報酬は死です。ロマ6:23.イエスさまはまた地面に何かを書かれました。最初に書かれた言葉は「律法」で二度目は「愛」と書かれたと学んだことがありますが、しかりです。

◎人々が去った後、女はイエスさまと二人きりになりました。この時が女にとっては最も身が引き締まる時だったのではないかと思います。

そして最も聞きたかったお方の思いを聞くことになるのです。「わたしも~罪に定めない。行きなさい。以後罪を犯さないように。」神さまの義を愛で包んだ贈り物のような言葉です。キリスト者は罪の告白の後、赦されてこのお言葉に励まされて信仰生活を送っていくものです。

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