めぐみのパンくず

“祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。”ヨハネ7:37,38

○仮庵の祭りの大いなる日、シロアムの池から運び上げられる水が神殿の祭壇に注がれる、クライマックスを迎えました。イスラエルの人々にとって、それは大いに盛り上がったことでしょう。

○しかし、イエスさまの眼から見れば、祭りを通して本当の心のみたし、潤いは与えられていなかったのです。人はイベントに群がります。大いに盛り上がります。しかし、終わった後は帰って虚しく、さびしいものです。

○イエスさまは28節に続いてここでも大声で、上のみ言葉を叫ばれました。旧約聖書のメシヤ預言。それは渇きを癒し、いつまでも変わることのない潤いを与えて下さるお方として預言されていました。そのメシヤが叫ばれました。

○さて「生ける水」とは聖霊を現します。この方がキリスト者のうちに来て下さると、尽きない泉のように潤い続けることが出来ると言われるのです。イエスさまを信じて、十字架の救い、復活の喜び、神さまの子どもとして成長させられていくために、必要欠かせられることのないお方は聖霊です。またそのように、キリスト者をいざなって下さるのも聖霊なのです。

○キリスト者は、すべてイエスさまの所にやって来てこの生ける水を飲んだものなのです。サマリヤの女の心に、泉となり、永遠のいのちのへの水がわき出たように潤おされて行くのです。

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