礼拝説教から 2019年1月13日

聖書箇所:創世記1章6-23節
説教題:神の良しと見られる世界

 神は、海の巨獣と、水に群がりうごめくすべての生き物を種類ごとに、また翼のあるすべての鳥を種類ごとに創造された。神はそれを良しと見られた。(創世記1章21節)

 聖書の冒頭には、神様による天地創造の出来事が記されています。そして、その最後に「人」が登場します。神様は、この世界を造って、最後に「人」を造られたのでした。それは、ただ単に、人間が宇宙の歴史の最後に、地球の歴史の最後に登場したということを意味しているのではありません。そうではなくて、神様による天地創造の出来事は、人間を中心にして記されているということを意味しています。神様による天地創造の出来事は、その中心である人間の創造に向かって記されているということです。そしてそれは、神様が私たち人間のために、この世界を造られたということを物語っています。神様は、私たち人間の創造を念頭に置いて、この世界を造られたということです。

 私たちの生きるこの世界、それは神様が私たちのために造られたものです。それはもちろん、私たちがこの世界の主人であり、私たちがこの地球や宇宙を、自分たちの欲望に任せて自由にしていいということを意味しているのではありません。そうではなくて、この世界の主人であり、支配者である神様が、この世界を造られたのは、私たちのためなんだということです。

 そうすると、どういうことが言えるでしょうか。神様が私たちのために、この世界を造られたのなら、私たちはこの世界を見ることによって、私たちに対する神様の思い、神様のみこころを知ることができるということになるのではないでしょうか。神様が私たちのために造られたこの世界を見ることによって、私たちに対する神様の思いを知ることができるということです。例えば、私たちのために造られたこの世界がいい加減なものであるなら、私たちに対する神様の思いもその程度ということになるでしょう。逆に、この世界が良いものであるなら、私たちに対する神様の思いも決していい加減なものではないということになるでしょう。

 私たちは、神様による天地創造の出来事を見る時、何度も繰り返して用いられている表現がいくつかあることに気づきます。その一つが「神はそれを良しと見られた」という表現です。

 神様はご自分の造られた光を「良し」と見られました。また、ご自分の造られた地と海を「良し」と見られました。ご自分が地上に芽生えさせた植物を「良し」と見られました。ご自分の造られた天体によって、地上が照らされ、昼と夜が治められるのを、「良し」と見られました。ご自分の造られた水中の生き物や大空の鳥を「良し」と見られました。ご自分の造られた地上の生き物を「良し」と見られました。そして最後に、神様がご自分の造られたすべてのものを見られた時、「それは非常に良かった」と記されています。

 神様が造られた世界、それは非常に良いものでした。神様は、非常に良いものとして、この世界を造られたのでした。そして、神様がその非常に良い世界を造られたのは、私たちのためだということです。神様は、私たちのために、この世界を非常に良いものとして造られたということです。私たちは、神様が私たちのために造られた非常に良い世界を見て、この世界そのものに込められた、私たちに対する神様の思いを知ることができるということです。私たち一人一人を大切に思っていてくださる神様の愛を知ることができるということです。御子イエス様の十字架につながる、変わることのない神様の愛を知ることができるということです。

 私たちは、創世記の冒頭に記された、聖書全体の冒頭に記された、神様による天地創造の出来事を、どのように見ているでしょうか。

 いろいろな角度から、いろいろなことを見ることができると思います。しかし、決して見逃してはならないのは、この世界を造られた神様の、私たちに対する変わることのない愛なのではないかということを思います。この世界そのものに込められた、私たちを大切に思う神様の愛なのではないかということを思います。

 神様による天地創造の出来事を見る時、いつも私たちを大切に思っていてくださる神様の愛を見ることができればと思います。私たち一人一人を大切に思っていてくださる神様の愛を、神様がこの世界を造られた出来事そのものから、見ることができればと思います。そうして、私たちも神様を愛し、神様が私たちのために造ってくださったこの世界を、大切にしていくことができればと思います。

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