投稿者: megumi_pastor

  • 教会の一致(2026年7月5日の週報より)

    教会の一致

    ゼパニヤ書3章8~10節

    そのとき、わたしは
    諸国の民の唇を変えて清くする。
    彼らはみな主の御名を呼び求め、
    一つになって主に仕える。

    (ゼパニヤ書3章9節)

    主は、諸国の民の唇をきよくしてくださいます。そうして主の御名を呼び求める、一つになって主に仕えるようにしてくださいます。 

    主の御名を呼び求めましょう。希望の光が見えず、暗闇のなかに放り込まれたときにも、主を呼び求めましょう。主は必ず応えてくださいます。 

    一つになって主に仕えましょう。一つになることは互いの違いがなくなってしまうことではありません。互いの違いを大切にしつつ、ともに主に仕えることです。 

    一つになることと、聖書の語るきよくされること、とは深くつながっています。一つになろうとするならば、自らを中心とすることから自由にされて、互いに受け入れ合わねばなりません。主のみこころを求めていかなければなりません。そうして私たちはきよくされていくのです。一つにならないでばらばらでいるならば、いつまでもきよくされることがありません。

    自己中心的に生きようとしてしまう誘惑と闘いましょう。さまざまな違いを認め合いながら、それを乗り越えて主にあって一つになりましょう。私たちは同じ主に仕える者、同じ主に生かされている者同士であることを喜びましょう。 

  • 奉仕(2026年6月28日の週報より)

    ピリピ人への手紙4章10~20節

    また、私の神は、キリスト・イエスの栄光のうちにあるご自分の豊かさにしたがって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。

    ピリピ人への手紙4章19節

    キリスト・イエスの栄光とは、十字架の栄光です。神さまは私たち罪びとを救うために、ご自身のいのちを献げてくださいました。その愛の大きさこそ、神さまの豊かさです。天と地を創造され、いまもすべてを支えておられる神さまの豊かさは、キリストの十字架において明らかにされたのです。私たちは主の十字架を見上げるごとに、神さまの愛がどんなに深いものであるのかを教えられます。

    ですから私たちは、神さまが必要のすべてを満たしてくださると信じています。いのちを捨ててくださるほどのお方が、出し惜しみをされるはずがありません。

    神さまは、私の必要を満たしてくださるとともに、私たちの愛する隣人の必要も満たしてくださると信じています。イエスさまを信じる者は、私の必要も、愛する者の必要も満たしてくださると信じる者です。

    神さまが、私たちが愛する者の欠乏を満たしてくださいますから、私たちはその愛する者を神さまの御手にゆだねることができます。ゆだねることができるので、平安のうちに私にできることをします。もしできないことがあっても神さまにゆだねているので平安を失うことがありません。

  • 2026年7月26日(日)

    • 聖書:マルコの福音書6章14~29節
    • 説教題:神のことばは殺せない
    • 説教者:田中隆裕
    • 新聖歌:
  • 2026年7月19日(日)

    • 聖書:出エジプト記20章17節
    • 説教題:上にあるものを求める
    • 説教者:河村三郎
    • 新聖歌:
  • 2026年7月12日(日)

    • 聖書:ルカの福音書19章1~10節
    • 説教題:「今日、救いがこの家に来た」
    • 説教者:奥村拓也(オンライン)
    • 新聖歌:
      • 35「告げよ主に」
      • 431「主と」
      • 233「驚くばかりの」
      • 209「慈しみ深き
  • 2026年7月5日(日)

    • 説教題:「あらゆる試みを受けられた主イエス」
    • 聖書: ルカの福音書4章5~13節
    • 説教:川﨑慎太郎
    • 新聖歌:
      • 330「幸い薄く見ゆる日に」
      • 311「いかに恐るべき」
      • 312「日ごと主イエスに」
      • 402「暗き谷間をたどるときも」
  • たがいに徳を高める(2026年6月21日の週報より)

    「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」

    第一コリント14章1節

    私たち人間は、愛のない異言や預言を語り、愛のない信仰を持ち、愛のない施しをし、愛のない殉教の死を遂げることができてしまいます(第一コリント13章1~3節)。愛があるかないか、それが問題です。何をするかも大切ですが、何をするにも愛があるかどうか、が大切です。愛がなければ、どんなに立派に見えることであっても意味がありません。何の役にも立たないのです。しかし愛があるならば、どんなに小さなことであっても、意味があります。また必ず役に立ちます。

    ひたすら愛を追い求めましょう。愛は追い求めるものです。捕らえ切ることができた、というものではありません。漕ぎ続けているならば倒れることのない自転車のように、愛を追い求めているならば、私たちは人生に倒れてしまうことがありません。逆に、捕らえ切ったとして追い求めることを止めてしまったならば、倒れてしまいます。人生に生きることができなくなってしまいます。

    愛を追い求めることは、御霊の賜物を求めることです。さまざまにある御霊の賜物の中で、特に預言すること、今日でいうならば、み言葉の勧めをすることを、熱心に追い求めましょう。

    み言葉の勧めをすること。み言葉によって誰かを勇気づけたり励ましを与えたりしたいと思います。聖書の言葉は、神さまのお言葉ですから、必ず人を慰める力を持っています。聖書そのものの持つ力に信頼して、み言葉を宣べ伝えましょう。

  • 神の家(2026年6月14日の週報より)

    ヤコブは兄エサウの手から逃れるために故郷を離れハランへと向かいました。「ある場所」にたどり着き一夜を明かします。石を枕に横になりました。夢を見ました。地と天を結ぶはしごを神の使いたちが上り下りしている夢です。そして主の御声を聞きます。

    「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西へ、東へ、北へ、南へと広がり、地のすべての部族はあなたによって、またあなたの子孫によって祝福される。見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」

    創世記28章13~15節

    神さまから祝福のお約束をいただきました。眠りから覚めたヤコブは、ここは神の家に他ならないと畏れを抱き、そこに石の柱を立て油を注ぎ、その場所を「ベテル」(神の家)と名付けました。

    神さまがともにいてくださる、そして祝福を成し遂げてくださる。神さまはその約束を成し遂げるまで、決して私を見捨てることがない。このお言葉さえ確かに握りしめているならば、私たちの人生も大丈夫なのだと思います。

    ヤコブは眠りから覚めて、言った。「まことに主はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。」

    創世記28章16節

    眠りから覚めたヤコブは、ここに神さまはおられる、なのに、私はそれを知らなかった、と畏れました。本来、神さまはいつもともにいてくださいます。しかしその神さまが見えない。そんなヤコブに神さまはお出会いくださいました。日が沈みひとり枕したとき、主は不思議な方法でご自身を現してくださったのです。ひとり静かに横になることは大切なことかもしれません。

    2026年6月14日(日)の週報より

  • 決断(2026年6月7日の週報より)

    「しかし、神の人よ。あなたはこれらのことを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさい。」

    第一テモテ6章11節

    牧師であるテモテを、パウロは「神の人」と呼びます。神さまに仕える人、神さまがその御手の中に握りしめていてくださる人、神さまのものとされている人。私たちイエスさまを信じる者は、すべて神の人と呼ばれてもよいのだと思います。主にある者はみな神の人です。

    これらのことを避けよ、とパウロは語ります。これらのこと、とはこの場合前節までに記されている金銭を愛すること、欲望のままに求めることです。衣食があればそれで満足せよとパウロは語りました。

    義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和、を追い求めよ、とパウロは語ります。六つの言葉が三つずつ組みになって書かれているのですが、原文でもこのような書き方がされています。義と敬虔と信仰、そして愛と忍耐と柔和、はそれぞれセットなのかもしれません。神さまとの正しい関係が築かれてこそ敬虔に生きることができ信仰に生きることが可能となる。あるいは神さまとの関係のない敬虔さや柔和さはほんとうの敬虔さ、柔和とは言えない。また愛があって忍耐も柔和も生きてくる。愛がなくては忍耐はいたずらな我慢であり、柔和も愛がないなら生きる力に結びつかない。

    義、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和。これらを追い求めよというのですから、これらは追い求めるものなのだと思います。人生において完了するものではなく、生きる限り追い求めるもの。自転車は漕ぐのを止めるとぱたんと倒れてしまいます。それを同じように、完了したとして追い求めることを止めてしまうならば、人生がストップしてしまう。生きているということは成長し続けるということです。完成は主の再臨のときであることを見失うことなく、日々追い求めていく者でありたいと思います。

    2026年06月07日(日)週報より

  • 2026年6月28日(日)

    • 聖書:マルコの福音書6章6b~13節
    • 説教題:生きる心構え
    • 説教者:田中隆裕
    • 暗唱聖句:マルコの福音書6章12,13節
    • 新聖歌:
      • 117番 「栄えの主イエスの」
      • 190番 「静けき祈りの」
      • 433番 「天つ真清水」
      • 434番 「語り告げばや」