キリストに生きる

「割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。」

ガラテヤ人への手紙6章15節)

割礼とはユダヤ人であることの証明みたいなものなのだと思います。これがあるかないかはユダヤの人にとってはとても重要なことでした。いまもそうだと思います。

イエスさまを信じた人たちの中にも、割礼の大切さを主張する人たちがいたようです。イエスさまを信じることはもちろん大切なことです。しかしそれとともに、割礼を受けることも大切なことであると言ったのです。ユダヤの人たちはもともと割礼を受けていましたから、イエスさまを信じてもあらためて割礼を受ける必要はありません。それに対してユダヤ人ではない人たち、すなわち異邦人たちがイエスさまを信じた場合は、イエスさまを信じることに加えて割礼を受けなければならないとしたのです。もしかしたらイエスさまを信じた者たちの間で、割礼を受けているかいないかで、格差が生まれていたのかもしれません。

これに対してパウロは、そうではない、割礼を受けているか受けていないかは大事なことではない、と語りました。受けていてもいいし、受けていないならば、それでも何ら構うことはない、ということです。

大事なことは、新しい創造、です。過去にどのような歩みがあったか、どんな経験をしたかは重要なことではありません。今からが大切です。私たちが信じた神さまは、創造主です。日々新しい創造をしてくださるお方なのですから、今日この時から新たに始めてくださる神さまの御業にあずかろうではないか、と語るのだと思います。