1月23日聖日礼拝

動画(33分50秒)

聖書 ローマ人への手紙4章17節〜25節
説教 「望み得ない時に」
説教者 高橋博牧師


今月の聖句

マタイの福音書6章33節〜34節

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。


今週の聖句

ヘブル人への手紙11章1節

信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。


今週の詩篇の黙想

詩篇55篇1節〜23節

  1. 「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。」詩篇55篇22節。この聖句でどれだけ多くの人々が慰めを受けて来たことでしょうか。試練の時、心の中に嵐が押し寄せ来るとき、このみことばを覚えましょう。

  2. ダビデは若いころサウル王から妬まれいのちを狙われ荒れ野をさすらっていました。その嵐が過ぎ去ってもまた晩年に試練が襲って来ています。2~3節にダビデは苦しみ叫んでいます。「私は苦しんで、心にうめき、泣きわめいています。それは敵の叫びと、悪者の迫害のためです。彼らは私にわざわいを投げかけ、激しい怒りをもって私に恨みをいだいています。」ダビデのこの時、息子アブシャロムの反逆、また手塩にかけた多くの部下の裏切と言う苦難に会っています。

  3. その状況を「まことに、私をそしる者が敵ではありません。それなら私は忍べたでしょう。私に向かって高ぶる者が私を憎む者ではありません。それなら私は、彼から身を隠したでしょう。そうではなくて、おまえが。私の同輩、私の友、私の親友のおまえが。私たちは、いっしょに仲良く語り合い、神の家に群れといっしょに歩いて行ったのに。」(12~13節)という身内、仲間からの裏切りにあっていのちからがらの逃避行の中での祈りです。

  4. こんな中でも「私が、神に呼ばわると、主は私を救ってくださる。夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる。主は、私のたましいを、敵の挑戦から、平和のうちに贖い出してくださる。」(16~17節)主の救いを告白して、あなたの重荷を主に委ねよ。主はあなたのことを心配してくださると勧めています。今日も重荷を主の元に下ろして主に委ねて歩みましょう。

1月16日聖日礼拝

動画(40分07秒)

聖書 ローマ人への手紙4章9節〜13節
説教 「割礼の意義」
説教者 高橋博牧師


今月の聖句

マタイの福音書6章33節〜34節

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。


今週の聖句

申命記10章16節

あなたがたは、心の包皮を切り捨てなさい。もううなじのこわい者であってはならない。


今週の詩篇の黙想

詩篇54篇1節〜7節

  1. 詩篇54篇の表題には「ダビデのマスキール。ジフの人たちが来て、ダビデはわれらの所に隠れているではないかとサウルに言ったとき」とこの詩篇の背景が描かれています。マスキールとは教訓的詩篇でこの詩篇に神様からの教訓、メッセージが込められています。ペリシテの大将ゴリアテを倒したダビデは一躍英雄になりましたが、それを妬んで殺そうとしたのがサウル王でした。

  2. 「ジフの人たちが来て」とはサムエル記第一23章に背景が書かれています。ダビデはゴリアテを倒し、国の英雄となり民衆は「サウルは千を倒し、ダビデは万を倒した」と歌いました。サウル王はこの民衆の歌を聴いてダビデをねたみ、一匹のシラミを追うようにダビデを殺害しようとします。

  3. ダビデは南の方、ジフの荒野に逃げます。ダビデはペリシテの手からケイラの人々、ジフの人々を守りますが、彼らはサウル王が来るとダビデをかくまわないでダビデの居場所をサウル王に通告します。助けた人々に裏切られる悲哀を3節で「見知らぬ者たちが、私に立ち向かい、横暴な者たちが私のいのちを求めます。彼らは自分の前に神を置いていないからです。」と信仰に生きない同胞を歌っています。

  4. サウル王の息子ヨナタンはホレシュで逃避行をしているダビデを励ましに来ています。マオンの荒野においては攻めてくるサウルから大きな山がダビデをかくまってくれました。ダビデがサウルから逃げられなくなったとき、ペリシテがサウルの国に突入してきたと言う知らせで、サウルはダビデを追うことをやめて自分の国に引き返し、ダビデは守られました。4節で主に感謝を献げています。「まことに、神は私を助ける方、主は私のいのちをささえる方です。」7節はダビデを追うのをやめて去りゆくサウルを眺めています。「神は、すべての苦難から私を救い出し、私の目が私の敵をながめるようになったからです。」

1月9日聖日礼拝

動画(20分28秒)

聖書 ローマ人への手紙5章1節〜5節
説教 「この希望は失望に終わることがありません」
説教者 高橋博牧師


今月の聖句

マタイの福音書6章33節〜34節

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。


今週の聖句

箴言19章21節

人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけがなる。


今週の詩篇の黙想

詩篇53篇1節〜6節

  1. 今日の詩篇53篇は詩篇14篇とほとんど同じです。1節「愚か者は心の中で「神はいない」と言っている」と書かれています。賢い人と愚かな人とは如何なる人でしょうか。マタイ7章には賢い人と愚かな人のたとえが書かれています。イエス様のことばを聞いて実行する人を岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることが出来ます。雨が降って洪水が押し寄せ風が吹いてもその家は倒れませんでした。イエス様のことばを聞いてもそれを実行しない人を砂の上に家を建てた愚かな人と行っています。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹くとその家は倒れてしまい、ひどい倒れ方と表現しています。

  2. 神はいないという人は神のことば、イエス様のことばを聞きませんし、信頼もしません。自分の力、知性、この世の知恵を頼りとします。箴言1章7節では「主を恐れることは知識の初めである。」と書かれています。神はいないとうそぶき、神を恐れない人は自分が価値の判断基準となり、自分の利益のために誘惑に打ち勝てなくなり忌まわし不正を行うようになり、身に滅びを招くことになります。3節「彼らは皆、そむき去り、だれもかれも腐り果てている。善を行う者はいない。ひとりもいない。」

  3. 「彼らはパンを食らうように、わたしの民を食らい、神を求めようとしない」不法を行う者、神を恐れない者の末路が5節に書かれています。神を恐れないと豪語していた「彼らがいかに恐れたか」それは神が、あなたに対して陣を張る物の骨をまき散らされたからである。神様の勝利が描かれています。ギデオンの時、ヨシュアの時、ヨシャパテの時、ヒゼキヤの時、神の民の叫びに主は応えて勝利をしておられます。

  4. 6節「ああ、イスラエルの救いがシオンから来るように。神が御民の繁栄を元どおりにされるとき、ヤコブは楽しめ。イスラエルは喜べ。」救いがシオンから来る、神の臨在から勝利が、神を恐れ、礼拝する所から祝福が来ることを確信して主を賛美しましょう。

1月1日元旦礼拝

動画(28分37秒)

聖書 ローマ人への手紙5章1節〜5節
説教 「失望に終わらない希望」
説教者 高橋博牧師


今月の聖句

マタイの福音書6章33節〜34節

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。


今週の聖句

ローマ人への手紙5章1節〜2節

ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。


今週の詩篇の黙想

詩篇52篇1節〜9節

詩篇52篇の表題には「エドム人ドエグがサウルのもとに来て、彼に告げて「ダビデがアヒメレクの家に来た。」と言ったときに。」書かれています。ダビデがサウル王から追われて荒野を部下も連れずに孤独の逃避行している時、祭司アヒメレクの所に避難しました。この時アヒメレクはダビデに聖別されたパンを与え、ゴリアテの使っていた剣もダビデに与えました。この聖別された祭司以外食べないパンを与えたことは、マタイ12章、マルコ2章に引用されています。祭司アヒメレクが親切に苦しんでいるダビデにパンを与えたために一族はサウル王に虐殺されています。アヒメレクがダビデにパンを与えたことをサウルの部下ドエグが目撃していて、それをサウルに伝えたことによってアヒメレクの悲劇が起こりました。小さい者に水一杯上げるものは決して報いからもれることはありません、とマタイ10章に約束がされています。アヒメレクはやがて王になるダビデにパンを与えました。すでに王になる油注ぎも受けていました。またダビデはやがて来たり給うメシヤのひな形でした。メシヤは王であり祭司であり預言者であります。このメシヤのひな形であるダビデは聖別された祭司のみに食べることが許されているパンを食しました。アヒメレクはそのことを知ってパンを与えましたが、それが原因でドエグの密告によりアヒメレクは殺されています。アヒメレクはこの地上では悲劇ではありましたが信仰に生きた人物としてイエス様はアヒメレクのことを忘れないで言及しておられます。それは今日においても、私たちが主のために、イエス様のメシヤとしての働きのために5つのパンを与えることにおいても、1杯の水を差し上げることにおいても、神様は決してお忘れになられないことが証しされています。アヒメレクはメシヤのひな形であり、やがてイスラエルの王になるダビデにパンを与えました。今日、神様の国の働きは教会を通して広がって行きます。この働きのために小さな労苦、貢献をすることは決して報いからもれることではありません。また主に仕えたためにアヒメレクのように痛みを覚え犠牲を被ることがあっても主は決してお忘れにならないことがこの詩篇で歌われています。9節「わたしはとこしえまでも、あなたに感謝します。あなたがこうしてくださったからです。わたしはあなたの聖徒たちの前で、いつくしみ深いあなたの御名を待ち望みます。」