1月1日元旦礼拝

動画(28分37秒)

聖書 ローマ人への手紙5章1節〜5節
説教 「失望に終わらない希望」
説教者 高橋博牧師


今月の聖句

マタイの福音書6章33節〜34節

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。


今週の聖句

ローマ人への手紙5章1節〜2節

ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。


今週の詩篇の黙想

詩篇52篇1節〜9節

詩篇52篇の表題には「エドム人ドエグがサウルのもとに来て、彼に告げて「ダビデがアヒメレクの家に来た。」と言ったときに。」書かれています。ダビデがサウル王から追われて荒野を部下も連れずに孤独の逃避行している時、祭司アヒメレクの所に避難しました。この時アヒメレクはダビデに聖別されたパンを与え、ゴリアテの使っていた剣もダビデに与えました。この聖別された祭司以外食べないパンを与えたことは、マタイ12章、マルコ2章に引用されています。祭司アヒメレクが親切に苦しんでいるダビデにパンを与えたために一族はサウル王に虐殺されています。アヒメレクがダビデにパンを与えたことをサウルの部下ドエグが目撃していて、それをサウルに伝えたことによってアヒメレクの悲劇が起こりました。小さい者に水一杯上げるものは決して報いからもれることはありません、とマタイ10章に約束がされています。アヒメレクはやがて王になるダビデにパンを与えました。すでに王になる油注ぎも受けていました。またダビデはやがて来たり給うメシヤのひな形でした。メシヤは王であり祭司であり預言者であります。このメシヤのひな形であるダビデは聖別された祭司のみに食べることが許されているパンを食しました。アヒメレクはそのことを知ってパンを与えましたが、それが原因でドエグの密告によりアヒメレクは殺されています。アヒメレクはこの地上では悲劇ではありましたが信仰に生きた人物としてイエス様はアヒメレクのことを忘れないで言及しておられます。それは今日においても、私たちが主のために、イエス様のメシヤとしての働きのために5つのパンを与えることにおいても、1杯の水を差し上げることにおいても、神様は決してお忘れになられないことが証しされています。アヒメレクはメシヤのひな形であり、やがてイスラエルの王になるダビデにパンを与えました。今日、神様の国の働きは教会を通して広がって行きます。この働きのために小さな労苦、貢献をすることは決して報いからもれることではありません。また主に仕えたためにアヒメレクのように痛みを覚え犠牲を被ることがあっても主は決してお忘れにならないことがこの詩篇で歌われています。9節「わたしはとこしえまでも、あなたに感謝します。あなたがこうしてくださったからです。わたしはあなたの聖徒たちの前で、いつくしみ深いあなたの御名を待ち望みます。」