12月26日聖日礼拝

動画(31分01秒)

聖書 ルカの福音書2章36節〜38節
説教 「幼子のことを語った」
説教者 高橋博牧師


今月の聖句

ヨハネの福音書10章11節

わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。


今週の聖句

詩篇103篇1節〜2節

わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。


今週の詩篇の黙想

詩篇51篇1節〜19節

  1. 詩篇51篇は32篇と並ぶダビデの悔い改めの詩篇です。150篇ある詩篇の中で最も愛されている詩篇の一つです。背景はサムエル記第二11章に記されてあります。ダビデが王となり国が安定したとき、ふとダビデの心に油断が出来たのか、戦いの最前に行かず、部下が戦場で戦っているのに王宮で惰眠をむさぼり、用もないのに屋上に行って目に入ったのは行水している女性の姿でした。人を使わしてウリヤの妻バテシェバを召し入れて姦淫の罪を犯し、証拠隠滅のため、部下ウリヤを戦線の最善に送り戦死させる罪を犯しました。預言者ナタンはダビデに罪を悔い改める様に迫り、ウリヤの説教でダビデは崩れて罪を認め、悔い改めました。罪赦されたよろこびを詩篇51篇は歌っています。

  2. 3~4節でダビデは自分の罪を認めています。「まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行いました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。」ダビデは神様の前に自分の罪を認めています。何が罪であるか、人が決める判断基準は時代とともに変化します。封建時代には王や将軍が女性を側室に召し入れ、部下を戦地に送ることは当たり前であっても、神の前には赦されない罪です。

  3. 5節で「ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。」と自分の罪は親から、アダムから受け継いでからだの中にしみこんで、自分の努力や修練では取り去れないことを告白し、身代わりの小羊であられるイエス様の血潮によって洗い清められることを告白しています。

  4. 「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」神様の前に砕かれて自分の罪を認める悔いた心を神様はさげすまれないことを告白し神様を賛美しています。罪を犯し、失敗しても、その時砕かれた心で主の前に出るたましいを主は喜んでくださいます。かたくなにならないで、主の前に素直に歩みましょう。