私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • 人の歩みは主によって定められる

    静まりの時 箴言20・24~30
    日付:2023年09月21日(木)

    24 人の歩みは主によって定められる。
       人はどうして自分の道を悟ることができるだろう。
    25 軽々しく「これは聖なるもの」と言い、
       誓願を立てた後で吟味する者は、
       罠にかかっている。
    (箴言20・24,25)

     罠にかかっている。罠とは、動物をとらえる仕掛けのこと。軽々しく「これは聖なるもの」といい、その誓願を立てた後から、それは正しいことだったであろうか、と吟味するようなことになっているとすれば、それは罠にかかっていることである、落とし穴に落とされていること、何者かの悪意によっておとしいれられていることなのだ、と。

     これは聖なるものだ、というようなことは、きっと神さまがお決めになられることなのだと思います。それを自分の道も知らないような人間が、これは聖なるもの、などと言うことは、僭越なことです。僭越なことにもかかわらず、厚顔にも言い得てしまう、という愚かさは、すでに罠にかかっている、悪魔の罠にかかっている、罪びとである自らの罪に足がからめとられている状態なのだ、ということでしょう。

     人間は自分の歩みを知らないのです。しかしその一歩一歩を主が導いてくださることを信じるとき、確かな歩みに導かれます。軽々しく「これは聖なるもの」などと言いたくなる誘惑から守られます。

    26 知恵のある王は悪しき者をふるいにかけ、
      彼らの上で車輪を引き回す。
    27 人間の息は主のともしび。
      腹の底まで探り出す。
    28 恵みとまことは王を保つ。
      恵みによってその王位は支えられる。
    29 若い男の栄誉は彼らの力。
      老人の輝きはその白髪。
    30 傷つくまで打てば、悪は取り除かれる。
      腹の底まで打ちたたけば。
    (箴言20・26~30)

     王。それは支配をする者、という意味です。私たちは王ではないかもしれませんが、しかし支配をする、という場面にさまざまな形で出会っていきます。その責任を担うことがあります。ときに悪をふるいにかけ、裁かなければならないこともあるでしょう。正義をしっかりと手にもって正しい判断をすることが求められます。中途半端なことは許されません。
     しかしそのようなことは「恵みとまこと」によって保たれるのだ、といいます。裁きを下す者自らが恵みによって支えられている、まことによって守られているということを、見失わないことが、正しい裁きを可能とするのだと思います。

     若者の栄誉、誉れ、栄光は力にある。しかし老人になれば、その力は失われるでしょう。では老人の輝きはどこにあるのか。それは白髪にあるのだと言います。毛髪に色を与えているメラニン色素が何らかの原因でつくられなくなり、結果色を失った毛髪が光を反射して白く見えるようになる、それが白髪です。原因は、加齢、遺伝、栄養不足、頭皮の血流不足、ストレスなどとのこと。とくに強いストレスを感じると白髪が増えることが2020年にハーバード大学の研究チームが発表したそうです。と、ちょっと話がずれました。

     白髪が象徴しているのは、その人生の経験であり、また様々な風雪のなかにも忍耐をし続けてきたことでしょう。生きて来た、ということは、忍耐をしてきた、ということでもあるのです。その忍耐はその人の輝きとなっている、ということでしょう。

    それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
    (ローマ5・3~5)