私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • わたしが創造するものを、 いついつまでも楽しみ喜べ。

    静まりの時 イザヤ65・17~20
    日付:2023年09月22日(金)

    17 見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。
      先のことは思い出されず、心に上ることもない。
    18 だから、わたしが創造するものを、
      いついつまでも楽しみ喜べ。
      見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、
      その民を楽しみとする。
    19 わたしはエルサレムを喜び、
      わたしの民を楽しむ。
      そこではもう、泣き声も叫び声も聞かれない。
    20 そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、
      寿命を全うしない老人もいない。
      百歳で死ぬ者は若かったとされ、
      百歳にならないで死ぬ者は、
      のろわれた者とされる。
    (イザヤ65・17~20)

     神さまが創造される新しい天と新しい地。そして神さまによって新しく創造されるエルサレム。私たちは、そこでいついつまでも楽しみ喜びます。そして神さまも喜ばれ、楽しまれるのです。
     私たちはその希望をいただいています。それがいつやってくるのかは分かりません。知らされていません。そして知る必要もありません。その希望をいただいている私たちは、いまその前祝いの中に置かれています。ですからいますでに喜びの中に生かされています。主にある者は、すべての時を、すべてのところを喜び楽しんでいればよいのです。

     末娘の結婚式で出かけることになりました。新婦のエスコートのあとガウンを羽織って結婚式の司式をする、というのもこれで三回目となりました。純白のウエディングドレスの娘とともに十字架に向かって歩きながら、いつの間にか大きくなったものだな、とつくづく思いました。上の子どもたちはそれぞれの家族と共に駆けつけ、孫たちがフラワーシャワーをリードしていました。新しく生まれた夫婦は、家族や友人たちの祝福のことばを受けながら出発をし夫婦となっていきます。それぞれが撮影した写真が家族ラインに投稿され200枚に近づこうとしているとのこと。便利な世となりました。集まった子どもたちはこの機会にと観光を楽しみながら有意義な休暇を過ごしたようです。私たちもそうでしたが・・・。喜びの時を過ごさせていただきました。
     旅先でお訪ねした教会は、新しく献堂されてあまり時間がたっていない美しい教会堂でした。お彼岸にあわせてでしょうか、ちょうど召天者記念礼拝で、ご遺族の方の参加もあったようです。突然に参加をしてちょっとお邪魔だったかなと恐縮しました。プロテスタントは礼拝式の順序がいろいろですが、参加した礼拝は私たちの礼拝とだいたい同じでした。ただ「招詞」というのがありました。