私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • この声が発せられたので

    聖霊は、その場にいる一人一人の人間が、その語る訛をもふくめて、自分の特色を保持するままにして置かれる。しかしそのような特色は―そのような独自の生活は、兄弟を兄弟から分離するような柵とはならない。否、あらゆる特色性・独自性を聖霊は貫き流れる。

    リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、197ページ
    行伝2章6節
    2012年06月06日(水)

    聖霊降臨の出来事は、人間の特色性・独自性を超えているのです。それは人間の特色性や独自性を殺してしまうということではまったくありませんでした。むしろ豊かに個性を持ったままでした。ガリラヤ訛のままでした。しかし聞く人々は自分たちの国ことばで聞いたのです。ここに聖霊の働きがあります。

    私たちの特色性、特殊性。それは長所ばかりではなく、短所も含むものではないでしょうか。長所に磨きをかけるところに聖霊の働きがあるのではなく、長所も短所もそのままに存在しているのですが、それにもかかわらず、そこに一致が生み出されていくこと。そこに聖霊の働きがあるのです。

    教会は一人一人の個性が大切にされるところです。大切にされつつ、皆が神さまの言葉の中に一つとなって行くところ。神さまの言葉である主イエスさまにあって一つとなって行くところなのです。

     

    ・・・
    立派でありたいとか
    正しくありたいとかいう
    無理な緊張には
    色目を使わず
    ゆったり  ゆたかに
    光を浴びているほうがいい・・・

    (吉野弘、『祝婚歌』より)