静まりの時
- テーマ:自然にあらわれた栄光
- 聖書箇所:ヨブ40・1~14
- 日付:2026年07月31日(金)
6 主は嵐の中からヨブに答えられた。
7 さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。
わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。
8 あなたはわたしのさばきを無効にするつもりか。
自分を義とするため、わたしを不義に定めるのか。
9 あなたには神のような腕があるのか。
神のような声で雷鳴をとどろき渡らせるのか。
理由のない苦しみのなかに放り込まれたヨブは、神さまにその理由を尋ね続けました。ようやく神さまが出て来てくださり答えてくださいました。しかしその答えはヨブの疑問の答えとはなっていないように思います。神さまはただ、わたしは神である、あなたはただの人間ではないか、神に問うなどというのは何ごとか、人間であることをわきまえよ、と語られたように思います。
到底納得できるような内容ではありません。ところが驚くべきことにヨブはそれに納得するのです。そればかりか、「ああ、私は取るに足りない者です。あなたに何と口答えできるでしょう。私はただ手を口に当てるばかりです。一度、私は語りました。もう答えません。二度、語りました。もう繰り返しません」と、神さまの前にへりくだりました。
神さまは重ねてご自身が神であることを語り続けられました。
私に神さまのような腕があるのだろうか、神さまのような声で雷鳴をとどろき渡らせることができるだろうか。人間である私にはできるわけがない。人間であることをわきまえよう。そのようにヨブは招かれたのだと思います。
人生には理由のない苦しみが起こります。あるいは理由がないかのようにしか思えない苦しみにであいます。あるいは理由などあればかえって苦しみが増すようにも思える苦しみがあります。
それで神などいない、として生きることも人間は選択してきました。しかしそれで生きることができるのだろうか。
神さまはおられる。私には理解できないこともよくご存じである。しかも神さまは愛である。その神さまがおゆるしになられた苦しみであるならば、きっと何らかのよい理由があるに違いない。そうであれば、この苦しみの中でも生きていこう。生かしていただこう。再臨のときすべてが明らかにされる。その日を待ち望みならば今日も生きていこう、とあらたに決意します。