あなたがたの生き方と行いを改めよ

静まりの時

  • テーマ:公正と正義
  • 聖書箇所:エレミヤ7・1~7
  • 日付:2026年08月18日(火)

3 イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。
 あなたがたの生き方と行いを改めよ。そうすれば、わたしはあなたがたをこの場所に住まわせる。
4 あなたがたは、「これは主の宮、主の宮、主の宮だ」という偽りのことばに信頼してはならない。
5 もし、本当に、あなたがたが生き方と行いを改め、あなたがたの間で公正を行い、
6 寄留者、孤児、やもめを虐げず、咎なき者の血をこの場所で流さず、ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くようなことをしなければ、
7 わたしはこの場所、わたしがあなたがたの先祖に与えたこの地に、とこしえからとこしえまで、あなたがたを住まわせる。

「生き方と行いを改める」。

具体的には「あなたがたの間で公正を行い、寄留者、孤児、やもめを虐げず、咎なき者の血をこの場所で流さないこと」。つまり公正と正義を行うこと。

また「ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くようなことをしないこと」。偶像礼拝をすることによって自分の身にわざわいを招くようなことをしない、とも読めますが、この場合、偶像礼拝の一つの行為として、自分の身にわざわいを招くような行為、があったと理解してもよいかもしれません。いたずらに自分の身体を傷つけるとか、何かを奪い合うとか、山車を猛スピードでカーブさせるとか、燃える炭火の上を歩くとか、湖に張り出した竿から飛び降りるとか・・・。そんな宗教的行為がなされていたのかもしれません。それをしてはいけない、という意味かも知れません。

また生き方をあらためることとして「これは主の宮、主の宮、主の宮だ」という偽りのことばに信頼しないこと。主の宮の門、すなわち神殿の門に立ったエレミヤの周りには、これは主の宮だ、と声高に叫ぶ人びとがたくさん集まていたのだと思います。あるいは、多くの預言者、祭司たちが、これは主の宮だ、と語っていたのだと思います。そのことばに人びとは何らかの慰めや力を見出そうとしていたのかもしれません。そのような偽りのことばを頼りとしないこと。

荘厳な神殿の前に立ち、ここにこそ神の力が宿っている。この神殿に見るように、神さまは偉大なお方である。そのお方に頼っていれさえすれば大丈夫だ、神さまは神風を吹かせて下さり必ず勝利を得させてくださる。このような信仰も信仰ではあります。しかし聖書は、信仰に生きようとする者に、その生き方について問いかけます。神さまの喜ばれるような生き方をしているか、と。

自分の生き方を顧みることなく、神さま、神さま、といっていても、地にしっかりと足をつける生き方は生まれません。

逆に公正を正義を求めているならば、私たちはこの地にあって幸いに生きることができるのです。