私たちの贈与も受領も、共にこのように祝福のないものになってしまっているのは、私たちがそれを神から切り離したからである。・・・私たちが受ける者として、神の前に謙遜になるとき、私たちの贈与は私たちを高慢にせず、受ける者を辱めないだろう。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、205頁
行伝20章35節
2012年06月14日(木)
受けるよりも与えるほうが幸いである、と主は言われたと使徒行伝の著者は書きました。福音書にはこの言葉は直接的には書かれていませんが、主の地上での歩みはすべてこの言葉のとおりだったのでしょう。
与えること(贈与)も受けること(受領)も簡単なようで難しいとリュティは語ります。
神さま抜きで贈与と受領を行ってしまうと、それは幸いにはならないからです。神さまとの関係の中で、神さまから受けた者として与えること、そこで初めて与えるということが幸いとなるのです。また神さまの前に謙遜になるときに、健やかな気持ちで受けるということもできるのです。受けるということが幸いとなるのです。