私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • 天から地への道

    あらゆる宗教に共通なことは、それらのものが人間が救いのために歩む神への道を示しているということである。しかし私たちの信仰は、上から下への道、天から地への道を示す。神の道をー「私は道である」と語られる方の道を示す。

    リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、328頁
    詩篇70編5節
    2012年10月09日(火)

    求道者という言葉があります。「ぐどうしゃ」と読ませる場合もあるのでしょうけれども、教会ではきゅうどうしゃと言います。道を求めて学び続ける人、という意味だと思います。やがて洗礼を受けてキリスト者となります。キリスト者は生涯聖書を学び続け、神さまのみこころを学び続けますので、そういう意味では生涯求道者なのかもしれません。

    道を求めて自分自身でその道を発見するのでしょうか。キリスト教信仰は、自分ではその道を発見すらできないところにうずもれてしまった罪人である人間を語ります。ですからただ上から、神さまの方から手が差し伸べられ、これが道だと語られるお方の声に耳を開き、導かれてゆくしかないのです。しかしその道こそ確かな道です。

    主イエスさまは神であるにもかかわらず、天を押し曲げて、この地に、私の所に下って来てくださいました。ここに人間が発見すべき唯一の救いの道があります。