私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • 主のみ言葉によってのみ

    主の言葉によってのみ、彼らは約束を受け取ることができるのです。
    ・・・
    そうでなければならないとか、地獄に行くからというのではなく、天国にあなたを導くものとして受けるのです。

    ペトロの手紙第1、1章25節
    2013年8月4日(日)

    『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
    (編)A.ルシー、(訳)坂本誠
    233頁

    ここで「約束」とは信仰による希望、平安、聖性といった信仰者の祝福のことのようです。

    私たちはその約束を主の言葉によって受け取ります。何か霊的な体験とか、神秘的な事々、によってではありません。また努力や修行といったことででもありません。ただ主の言葉、つまり聖書の言葉によって受け取ります。神の言葉である聖書にそう書かれているので私たちは確かに受け取るものであるということを信じているのです。

    またそのみ言葉を信じることによって受け取るということも、そのように信じなければならない、とか、信じないと地獄に行くからというのではなく、天国への道場約束されているから信じ受け取るのです。信仰による希望、平安、聖性を受け取るのです。

    信仰に生きるということも、地獄に行かないようにというのではなく、天国が約束されているから、信仰に生きるのです。

    地獄に行かないということと、天国に行くということは同じ事を語っているようですが、地獄に行かないというのは、地獄に行くという恐怖がその動機となりますが、天国に行くということは、喜びが動機となります。

    恐怖に縛られて信仰生活をするのか。それとも希望と喜びを持って信仰生活をするのか。まったく違うことのように思います。

    希望と喜びによって信仰生活を送っているでしょうか。