私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • 致命的な無感覚

    彼らは致命的な無感覚に陥りました。なぜならば、自分自身を否定しないからです。

    箴言6章10節
    2013年9月22日(日)

    『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
    (編)A.ルシー、(訳)坂本誠
    283頁

    無感覚とは、感覚が麻痺して何も感じなくなっていること、です。神さまの恵みに取り囲まれているのに、それを感じる感覚が麻痺してしまっていて何も感じなくなっているのです。自らが罪と滅びの中にあるのに、それを感じなくなっているのです。

    なぜ無感覚になってしまったのか。それは自分自身を否定しないからだといいます。自分自身を否定しないとは、いたずらに自分のいのちを求めるということでしょう。自分自身のいのちをいたずらに求めることは、かえって自分自身のいのちを失ってしまいます。

    自分のいのちをイエスさまに向かってささげていく、あるいはゆだねていく、つまり自分自身で自分のいのちをコントロールしようとしない、神さまのみ手の中にゆだねていくとき、かえっていのちを得ることができるのです。