私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • 習慣的な気質

    心の割礼は神の賞賛を受け取ることができるのですが、何によって成り立っているのでしょうか。一般的に、それは習慣的な気質、聖書においては聖性と名付けられているものによって成り立っているのです。それは罪から清められ、キリスト・イエスにある徳を持ち、天の父が完全であるように、私たちが心の霊を新しくされることです。

    ローマの信徒への手紙2章29節
    2013年9月29日(日)

    『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
    (編)A.ルシー、(訳)坂本誠
    290頁

    「習慣的な気質、聖書においては聖性と名付けられているもの」。

    イエスさまを信じ新しくされた者は、この習慣的な気質が新しくされています。習慣的な気質が新しくされているのですから、新しくされている者として歩まねばなりません。それは聖性に生きることです。罪性に生きるのではなく、聖性に生きるのです。

    ところで習慣的な気質と名いったい何でしょうか。

    それは何気ない会話における優しさ、相手を思いやるささやかな配慮、相手を否定しない言動、そして清さ、絶望の中にも希望とユーモアを持っていること、などなど。

    私はそういうものだと思います。

    いくら立派な宗教的言動があっても上記のような気質がないならば、やかましいどらやうるさいシンバルと同じです。