静まりの時
- テーマ:主に仕える人
- 聖書箇所:第一列王記18・7~16
- 日付:2026年08月31日(月)
8 エリヤは彼に答えた。「そうです。行って、エリヤがここにいると、あなたの主人に言いなさい。」
預言者エリヤが、アハブ王に会うために、直接アハブのところに出向くのではなく、アハブの宮廷長官のオバデヤに出会い、エリヤがここにいると伝えるようにとオバデヤに語りました。
それを聞いたオバデヤは恐れました。アハブ王に知らせに行っている間にエリヤがどこかに行ってしまい見つからなくなると、自分がアハブに殺されると、オバデヤは恐れたのです。オバデヤは、イゼベルが主の預言者を殺したときに百人の主の預言者をかくまったのに、このようなことをしなければならないのは、理不尽であるといいます。
預言者エリヤは、オバデヤがこのように言ってエリヤの申し出を拒むことは想像できたのではないかと思います。しかしエリヤはオバデヤに無理を言います。オバデヤはエリヤのことばを信じて、アハブ王のところに向かいました。
なぜエリヤは直接アハブに会いに行かずにオバデヤにお願いしたのか。直接アハブに会うことを恐れたのか。結局アハブと対峙することになるのですから、エリヤにとっては最初から自分がアハブのところに行ったほうが簡単だったのかもしれない。・・・このやや遠回りな手続きの理由はよくわからないのですが、とにかく、エリヤはオバデヤ対して、オバデヤがいやがるであろうことをお願いすることをしました。
相手がいやがるであろうことをお願いするのはなかなか難しいことです。しかしときどきそういうことをしなければならない場面に立たされます。自分が生きていくために、あるいは誰かのために・・・。
5年前に心筋梗塞で入院したとき、処置終了後は自分で体を動かしてはいけないといわれました。少し動こうとしたときには、「私らがします!」と、制せられました。心破裂の危険があったからです。その後、リハビリが進み少しずつ動いてもよいことになりましたが、それでもトイレは必ず看護師さんに言わなければなりませんでした。でもちょっと遠慮したくなることでもありましたので、自分で行ってしまったところ、トイレで心電図のアラームが鳴り響き、看護師さんが飛んでこられました。「私らに任せてください」ときつく言われました。
看護師さんたちは、嫌がることは一切なくむしろ献身的に介護をしてくださいますが、羞恥心を捨ててお願いすることも大切なことだと教えられたようなことでした。