私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • 神の言葉に対する辛抱強さ

    〔私の心を開いてください〕

    2014年3月28日(金)

    「わたしのたましいは常にあなたの要求を渇望して、絶えいるばかりです。」(詩篇119:20)

    神の「要求」を聞こうとする「渇望」は、われわれの魂のいかなる渇望よりも力強い。
    ・・・
    この神の言葉に対する渇望は、自分の魂から生まれた出たものではないので、それは時間ごとに、日ごとに移り変わる魂の動き、あるいは感動のように、過ぎ去りはしない。
    ・・・
    神の言葉への渇望を特徴づけるものは、敬虔さというものが持つ情熱ではなく、最後まで神の言葉を求め続ける辛抱強さである。

    ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
    村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、155頁f。

    み言葉への飢え渇きは、人間の敬虔さの中から生み出されるものではありません。神さまが人間を造ってくださったときに、そのように人間を造ってくださったのです。ですからこの神さまの言葉に対する飢え渇き、渇望は、なくなることがありません。
    神さまの言葉への渇望は、神さまの言葉を求め続ける辛抱強さがその特徴であるとボンヘッファーは語ります。
    み言葉を求め、み言葉を土台として生きるということは、そこに辛抱強さ、忍耐があるというのです。私たちは忍耐を持っているでしょうか。

    (祈り)
    神さま、移り変わるものばかりに目を向けることから自由にしてください。あなたのお言葉に留まり続ける忍耐を与えてください。そのためにみ言葉を与えてください。