私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • わたしが王として彼らを治めることを拒んだ

    静まりの時

    • テーマ:キリストの主権
    • 聖書箇所:第一サムエル8・4~18
    • 日付:2025年08月28日(木)

    6 彼らが、「私たちをさばく王を私たちに与えてください」と言ったとき、そのことばはサムエルの目には悪しきことであった。それでサムエルは主に祈った。
    7 主はサムエルに言われた。「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ。なぜなら彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから。

    民の長老たちがサムエルのところにやってきて、自分たちをさばく王が欲しいと願いました。この申し出はサムエルには「悪しきこと」と思えました。理性的によくないことであると感じた、ということだと思いますが、その背景には少し複雑なものがあるように思います。
    サムエルが高齢になっていること、サムエルの子どもたちはサムエルの道、すなわちまっすぐな信仰の道を歩んでいないこと、ほかの国民には王がいること。そういうことが、この申し出の背景にある。悪しきこととは思えても、反論が難しい状況なのだと思います。サムエルはもやもやしていたのだと思います。
    サムエルは主に祈りました。どんなときにも祈ることはよいことです。とくにこのような時には祈りが欠かせないのだと思います。

    主はすぐに答えてくださいました。
    主の答えは明確でした。民の願いは何であれ聞き入れよ、と主は言われました。サムエルにとっては驚くべき答えだったのだと思います。サムエルはおそらく自分の味方をしてくださると思っていたのではないでしょうか。
    主はつづいて、理由を語られました。

    「なぜなら彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから」

    そして王が立ったらどんな事態を招くのかを民に説明するようにと続きます。
    この主の容認は、結局民へのさばきだったのだと思います。

    私たちの願望が聞き入れられる、ということがさばきとなる。願いが聞かれたからといって手放しで喜ぶことができない。そんな事態です。問題は何を願うのかが大切なことなのだと思います。

    自分にとって良くない事態を招くような願いをしてはいないだろうか。そんな願いであればしっかりと拒否してほしいところですが、果たしてその拒絶を受け入れることが私にはできるだろうか。
    祈る、ということ自体に覚悟が必要となります。

    なんでも自由に祈り願っていいのだと思います。しかしいつも答えは、オープンでなければならないのだと思います。サムエル自身は、この祈りにおいてオープンだったのだと思います。どんなことでも祈ればよいと思いますが、同時に神さまからの答えがどんな答えであってもそれに聞き従う覚悟が祈りには必要なのです。