「私が常々訪れてみたいと思っている場所がどこだかわかるか、サックス?」
「どこかしら」
「長年、私を惹きつけて離さない場所―カルヴァリの丘だ。二千年前にキリストが磔にされたという。ぜひとも鑑識を行ってみたい現場だよ。きみはきっとこう言うだろうね―犯人はもうわかっているのに、と。だが、そうだろうか。実は私たちは、目撃者の証言しか知らされていないんだ。私の口癖を覚えているかね? 目撃者の証言を鵜呑みにするな、だよ。ひょっとしたら、聖書に書かれたことは事実に反するのかもしれない。いいかい、証拠はどこにあるんだ? 物的証拠は。釘、血液、汗、槍、十字架、葡萄酒はどこだ? 履き物の痕、指紋は?」
(ジェフリー・ディーヴァー、『ボーン・コレクター』、池田真紀子訳、文藝春秋、1999年9月20日発行、359頁)
リンカーン・ライムにとって常々訪れて鑑識を行ってみたい現場は、カルヴァリの丘、すなわちゴルゴタの丘ということだそうです。
キリストを十字架につけた真犯人は一体だれか。それは時間、空間を超えてこの「私」です。私の罪がキリストを十字架につけたのです。物的証拠は見つからないかもしれないですが、ライムには霊的な証拠を見つけていただけそうです。
パウロは自らを罪人のかしらであるといいましたが、自分は罪人であるということを確かにするということがキリスト教信仰には大切です。そしてそれはこの私がキリストを十字架につけたという信仰の告白によるのです。
(このところいろいろなことが重なり悩みの中にあります。何もしないでいるといろいろと否定的な思いにとらわれますので、無理やりに頭を別のもので埋めるために小説に逃げています。)
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