静まりの時
- テーマ:目を覚ましている
- 聖書箇所:詩篇57・1~11
- 日付:2026年10月03日(土)
8 私のたましいよ 目を覚ませ。
琴よ 竪琴よ 目を覚ませ。
私は暁を呼び覚まそう。
この「たましい」と訳されている言葉は、欄外の注を見ると直訳が「栄光」であると書かれています。他の訳では「誉れ」、共同訳2018では「栄光」。
つまり自分自身の存在そのものに向かって、目を覚ませ、と呼びかけています。
つづいて琴、竪琴に向かって、目を覚ませ、と呼びかけます。「琴」は「こと」とふりがながふってあります。
すこし話しがずれますが、私は琴というと、お正月などにラジオから流れてくる音楽を奏でている楽器のことと思っていました。あるとき、あれは琴ではなく「筝」です、と教えていただくことになりました。筝は、「柱(じ)」のある「琴」のことだそうです。琴は、いっぱんに弦楽器の総称のような感じで使われるのが本来、ということでしょうか。
原文から考えているわけではありませんが、この聖句においても、筝よりも、弦楽器に近いものを想像すると、現代のギターなども考えてよいかもしれません。
暁は、夜明けのことですが、夜明けに向かっても、目を覚ませ、と呼びかけます。
目を覚ませ、と、私、楽器、夜明け、の三つに向かって呼びかけられています。この三つはつながっているかもしれません。私が目覚めることと、楽器が目覚めること、そして世界が目覚めること。この三つがつながっている。私の目覚め、世界の中の被造物の目覚め、そして世界そのものの目覚め。暗闇の中にあるこの三つに、神さまは光を差し込んでくださいます。
あるいは、私と被造物が目覚めることによって、世界が目を覚ます、ということかもしれません。