神の呼びかけだったら面倒だからとわざと受話器をはずし

正直な心からキリストを拒否する姿勢は、誤っているとしても、おそらく赦され、癒されるでしょう。・・・しかし人の子を故意に避け、そっぽを向いて気づかないふりをし、通りの向こうのものに気を取られているように装う態度、神の呼びかけだったら面倒だからとわざと受話器をはずし、神のメッセージかもしれないと見覚えのない筆跡の封筒をあけずにおく姿勢、これは大いに問題です。
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それが真理であるか、真理でないかを見きわめるといこと・・・こうした重大問題に直面しながらあなたは、自分の道徳的向上などというものにあいもかわらずこだわりつづけていられますか?

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、465-466頁

2019年11月27日(水)

自分の意志とは関係なくこの世に生を受け、思うようになることもならないこともある人生を生き、最後には死をもって終わる、この人生をどう生きるのか。真理とはいったい何であるのか。その重大な問いの答えを追求することをあとまわしにして、自分の道徳的向上心にこだわる姿勢は、たしかに自己中心的な生き方であるといわざるを得ません。

「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネ8・32)