道徳など呑みつくしてしまうようなものを

たといよい人間になったからといって、人間が創造された目的がそれによって達成されるわけではないのだということをも教えてくれるに違いありません。道徳的な善は人生の目的ではないのです。
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道徳は人間の生活にとって不可欠でしょう。けれども私たちに御自身を与えて、「神のようになりなさい」と呼びかけたもうた神的生命は、道徳など呑みつくしてしまうようなものを私たちのために意図しておられるのです。

私たちはあらたに創造されねばなりません。
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毛を一摑み、また一摑みと引きちぎられるとき、私たちは血を流し、悲鳴を上げるでしょう。しかし一皮むいた下に、私たちは意外にも私たちがいまだかつて想像したこともないもの、真の人間、時を超越している神のごとき存在、力ある、光り輝く、賢明な、美しい、そして喜びにあふれる神の子を見出すでしょう。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、467-466頁

2019年11月28日(木)

道徳的、倫理的により善く生きることは、人生にとってとても大切なテーマです。しかしそれは人生の目的ではなく、人生の結果である、ということではないかと思います。どんなに道徳的な生き方ができていたとしても、そこに喜びなく空しい時間が過ぎるだけであるならば、あまり意味がないような気がします。

人生の目的は、新しく生きる、ということなのです。そしてそれは神さまによってのみ可能であるのですから、結局は神さまに出会うということが人生のもっとも大切な目的である、ということでしょう。

「イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。』」(ヨハネ3・3)