キリスト教ははじめのうちはもっぱら道徳について、義務について、規則について、罪について、美徳について語っているように見えますが、やがてそうしたすべてからあなたを抜け出させ、そのかなたにあるものへと導いてくれます。
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・・・義の源泉を見るのに忙しいからです。『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、468-469頁
2019年11月29日(木)
「義の源泉」と訳されていることばは柳生訳では「キリスト」と注釈がついています。キリスト教信仰の道程の向かうところは、キリスト御自身である、ということでしょう。
「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。」(第1コリント13・12)