あるものを直視する見方は本質的、内在的に、それにそって眺めることよりすぐれているといった考えを、私たちはたとえ愚鈍と呼ばれようとも最初から否定すべきです。
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・・・両方の意見がそれぞれ異なった意味で同じくらい正しいか、間違っているか、検討もせずにきめるわけにはいきません。私たちとしては、どっちが正しいかをつきつめて考えるほかないわけです。けれども頭から高圧的にきめつけるという態度を取らないに越したことはありません。『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、307-308頁
2019年8月5日(月)
「直視する見方」と「本質的、内在的に、それにそって眺めること」と。どちらが優れた見方であるのか。結局、どちらかを決めるとすれば「頭から高圧的に決めつけるという態度」を取らないに越したことはない、とルイスは語ります。
問題は自分の中にある「高慢」「傲慢」なのかもしれません。
「そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」一同はこの意見に従い、」(使徒5・38-39)