ある経験の外側に出ることは、べつな経験の内側に入ることによってのみ可能なのです。ですから内側の経験がことごとく人を欺くものであったなら、私たちはたえず欺かれていることになってしまいます。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、305-307頁
2019年8月4日(日)
内側に入ることなしに知ることはありません。しかし内側に入るということは、客観的な見方ができなくなるということでもあります。客観的でないものには正しさがないといわれるでしょう。しかし客観的でないものは正しくないのでしょうか。あるいはおおよそこの世界に客観的なものが存在するのでしょうか。「神がご存知です」ということが大切なのではないかと思います。
「わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。」(第2コリント12・2)