自分自身に関心を集中するという心の態度に対して、私たちは不信の思いをいだく必要があるのではないでしょうか。自分の罪に対しても、それを見きわめて悔いるのに必要な限度を超えてまでくよくよと思い悩むべきではありませんし、そして自分の美徳や進歩(もしそんなものがあるとしたらですが)について思いめぐらすのは、たしかに危険です。
太陽が頭上にあるときには影ができないように、神の白日のうちに歩みを進めるとき、私たちの霊の影である自己意識はまったく消えてしまうでしょう。こうして人は、ある意味ではほとんど無にひとしくなります。つまり、神によって満たされるべき、また神に祝福された人間同胞によって相互いに満たされるべき、部屋となるのです。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、278-279頁
2019年7月15日(月)
「自分の罪」に対しても「自分の美徳や進歩」に対しても、過度に思いめぐらすことは、自分を滅ぼすとともに、隣人への愛に生きる道を閉ざしてしまいます。私たちはひたすら神さまを仰ぎ見ます。そうして自分を意識することから自由にされるのです。
「主を仰ぎ見る人は光と輝き/辱めに顔を伏せることはない。」(詩編34・6)