いささかも痛痒を感じないとすれば

慈善のために出費をしてもいささかも痛痒を感じないとすれば、確かに少なすぎるという気がします。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、99頁

2019年3月9日(土)

喜びをもってささげるということは、痛痒を感じないということではない、ということでしょう。ささげること、慈善のために出費をすることには、かならず痛痒を感じるということでしょう。喜びと痛痒がともにあること。それは祈りによってのみ可能なのかもしれません。

「畑から穀物を刈り取るときは、その畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。貧しい者や寄留者のために残しておきなさい。わたしはあなたたちの神、主である。」(レビ記23・22)
「イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。『はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。』」(マルコ12・43-44)