〔フィリピの信徒への手紙のキリスト賛歌〕
2015年4月19日(日)神にある交わりへの個人の対立は、常に個人も自らをまだ正しく理解していないことが原因です。
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「思いを一つにして」。・・・この神的根源は、個々人がまずその下に立つ遠心力的作用に、限界を与えます。その一つのものに注意を払うようにその根源に目を注ぐ人は、この限界を見、それを尊重し始めます。
フィリピの人びとが相変わらずこの一つの持つ真剣さを、各人が自分のために持つ真剣さより上に置くほどには真剣ではないということ、それがパウロにとって教会での彼の「喜び」の完全さに欠けているのです。
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いかなる個人も他者に対して自分の徹底性として発揮できない究極の徹底性が存在します。
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一つを志す者は、共同性をも志します。即事性(ザハリヒカイト)、だがまさに事柄の絶対性を意味する即事性はどんな場合にも平和への道であります。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、227f。
私たちがあらゆる違いを乗り越えて思いを一つにすることを、神さまがお望みになっておられます。この神さまのお心を以上に自分の思いを優先してはいけません。自分の思いをなそうとすることにも常に限界を持つのです。自分の思いは遠心力のように常に外に向かってバラバラにさせます。しかし神さまを信じその愛を信じる者は、限界を持っているのです。その限界を見つめ、限界を尊重するのです。
即事性。何にも勝って優先すべきものがこの神さまの御心、すなわち私たちがあらゆる思いを乗り越えて一つになること、です。このことよりも大切なことなど存在しないのです。
(祈り)
神さま、一つになる道を歩ませてください。そのために自らの思いに限界を持つことができますように。
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