〔ユダ〕
2015年3月23日(月)イスカリオテのユダも疑いなく「弟子」であり「使徒」であります。ペトロやヨハネより多からず少なからずこれらの人びとと同じ召命、任命、派遣に連なっています。少ないどころかむしともっと、ユダは他の人びとの中で唯一イエスと共にユダ族、ダビデの一族に属しています。
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3人の共観福音史家の誰も、改めて特別に「ユダ、十二使徒の一人」と強調することをなおざりにする人はいません。
すなわち、いかなる誤解も排除するために、ヨハネによる福音書6章71節は文字どおり述べています。「あなたがた12人は私が選んだのではないか。ところがその中の一人は悪魔だ。イスカリオテのユダのことを言われたのである。このユダは、12人の一人でありながら、イエスを裏切ろうとしていた」。
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新約聖書の報告はユダについて、現実の使徒たちの間に単に見せかけの、たぶん偽りの選ばれた者たちの間に一人実に極悪の者がいた、とは言っていません。むしろ、実際の使徒の一人が、実際に選ばれた者の一人が、イエスを裏切る者であり無頼の徒であった、と言っています。
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ユダはむしろその行動に関して計画に基づいた役目を持つ計画的人物のように見えます、その人物像はこのような者としてもちろんまさに「(人の子を裏切る)その人は不幸だ!」の言葉どおり当てはまらざるをえません、たとえばペトロの告白が同様の祝福に当たるとしても、そこでペトロの特別な栄誉が明らかにされないように、ユダを特に重く貶めてはいないように見えます。他の人びとと共に選ばれ召命されたユダの存在と行い全体について、優れた真実があります。「イエスは最初から、自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである」(同64節)。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、168f。
「12人の一人でありながら、イエスを裏切ろうとしていた」。
ユダを選ばれたのはイエスさまでした。12使徒として選ばれました。そして12使徒であるにもかかわらず、裏切る者として選ばれました。せっかく選んだのに、神さまのご計画に反してユダは裏切ったというのではありません。12使徒であるにもかかわらず、裏切る者として選ばれたことが、神さまのご計画そのものだったのです。イエスさまはユダが裏切る者であることを誰よりもご存知でした。十二分にご存知でありながら選ばれたのです。ユダはその召しのままにイエスさまを裏切りました。
この驚くべきことの中に神さまのご計画があります。
神さまの愛は、裏切る者をも支え続ける無限の愛なのです。
もちろん私たちは裏切る者であってもよい、などと語られているのではありません。精一杯イエスさまの御足の跡をたどる者でありたいと願っています。しかしそれにもかかわらず、私たちは弱く常にイエスさまを裏切る隙間を抱えて生きているのです。それが自分のありのままの姿です。「いえいえ私はそんなことはありません」というのなら、それは自分を知らないだけです。
イエスさまの愛は、裏切りを抱えている私をも包み込む深い愛なのです。この愛に支えられているので、今日も私たちは大丈夫です。
(祈り)
神さま、あなたの深いご愛を感謝します。
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