静まりの時 黙示録21・1~8
日付:2024年01月03日(水)
1 また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。
3 私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。
「見よ、神の幕屋が人々とともにある。
神は人々とともに住み、人々は神の民となる。
神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
(1-3)
神さまは天と地を創造されました。私たちが住む世界は、神さまの創造されたものです。神さまは、その天と地を「良かった」と言われました(創世記1・31)。私たちの住む世界は、良いものであり、良いもので満ちています。
しかしアダムとエバの犯した罪のために、世界は破壊されてしまいました。その罪は私たちも引き継いでいます。アダムとエバの罪は、他人事ではなく、私の罪そのものでした。
良いものとして造られた人間でしたが、罪、によって破壊されました。不完全な人間、破壊された人間として生きることになりました。それが世界の問題、人間の問題、すべての問題の根っこにあると聖書は語ります(ローマ3・23)。
その破壊された世界を、再創造、するためにイエスさまが、地に降ってくださいました。そうしてあらためて、父なる神さまの御心のままに生き、「人間」をやり直してくださいました。イエスさまこそ、まことの神にして、まことの人間となってくださったのです。
「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(第二コリント5・17)
イエスさまを信じて歩む者は、みな「新しく造られた者」です。福音に生きる、キリスト教信仰に生きるということは、新しく造られた者として生きるということなのです。
黙示録の書かれた迫害の時代。ヨハネは、新しい天と新しい地を見た、と語りかけました。新しい天と新しい地が、もうすぐそこに来ている。もはや以前の天、以前の地は過ぎ去った。人間の罪が破壊してしまった天と地は過ぎ去り、神さまの再創造が完成している。その新しい天と新しい地に自分たちは生きる者となる。まさにそこに来ている新しい天と地に自分たちは生かされようとしているのだ、いや今すでに生かされているのだ、と語ったのです。
今の迫害による信仰の戦いは、勝つか負けるか分からない戦いではない。すでに勝利が確定している戦いなのだ。だからこの戦いは、つねに揺るぎない希望にあふれているのです。
「神ご自身が彼らの神として、ともにおられる」。神さまがともにおられる。聖書の首尾一貫として語られる福音です。インマヌエルの神。それが聖書の神です。そのことが明らかにされた、それが新しいエルサレムです。
「私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た」。
この新しいエルサレムは、古いエルサレム、すなわち地上のエルサレムのことではありません。目に見えるエルサレムはすべて天からのものではありません。これをごっちゃに考えてしまう時、地上には混乱と戦いが生まれてきました。
新しいエルサレムは、「天から降ってくる」のです。人間の手によらないエルサレム。夫のために飾られた花嫁のように神さまが整えてくださったエルサレム。私たちはその新しいエルサレムに住む者となる。まさに来らんとしているその栄光の時を待ち望む。それが、新しい天と地に住むことになる私たちの信仰生活なのです。
古いもの、目に見えるものに固執したくなることも多いのですが、いつもこの新しい天と地、新しいエルサレムに住む者として整えられて行きたいと思います。