主はあなたの父祖たちを愛し、その後の子孫を選んでいた

静まりの時 申命記4・32~40
日付:2023年12月19日(火)

「主はあなたの父祖たちを愛し、その後の子孫を選んでいたので、ご臨在の中、大いなる力をもってあなたをエジプトから導き出された。」(37)

 神さまはイスラエルの民を愛されました。その子孫をお選びになりました。エジプトで奴隷の状態であったイスラエルの民を愛し、その子孫をお選びになられたので、エジプトから導き出されました。そうして約束の地に導かれました。その目的は、今朝の個所によると、

「あなたにこのことが示されたのは、主だけが神であり、ほかに神はいないことを、あなたが知るためであった。主はあなたを訓練するため、天から御声を聞かせ、地の上では大いなるご自分の火を見せられた。その火の中から、あなたはみことばを聞いた。」(35,36)

 神さまがどのようなお方であるのかを知るためであった。それが救い出された目的であると語られています。

 〈神さまを知る、ことによって、救われる〉、の逆で、〈救われる、ことによって、神さまを知る〉、といいます。

 主イエスさまを信じ、主にある者は、完全に救われています。その救いは、私の行為によって成り立つものではありません。神さまの一方的な愛による救い、神さまの一方的なおこころ、一方的な選びによる救いなのです。ですからこの救いは揺るぐことがありません。イスラエルの民が他の民族よりも優れていたわけではなく、ただ「主はあなたの父祖たちを愛し、その後の子孫を選んでいた」ので、「ご臨在の中、大いなる力をもってあなたをエジプトから導き出され」ました。

「何ゆえ御神は かかる身をも 神の子とせしか 知るを得ねど わがより頼む主は 委ねたる身と魂を 守り得たもうと 確信するなり」(新聖歌357)

 救われた理由は分からない、しかし今こうして神さまに委ねて生きる者としていただいた。それはますます神さまを知るためである。神さまを知り尽くすことは出来ない。しかし神さまを知るということが、人生の目的となった。その人生は、死をもって終わるものではない。永遠に続く人生となった。ハレルヤ、です。

 知るということは、物質に対しては知り尽くす、ということは可能かもしれません。しかし人格に対しては、知り「尽くす」ということは、ないのです。長年連れ添った伴侶の新しい面を発見することがあります。自分の子であるにもかかわらず、こんな面があったのか、と驚くことがあります。人間に対してそうであるならば、ましてや神さまを知り尽くすことは出来ません。神さまとともに生きるということは、毎日が発見の連続なのです。

 『項羽と劉邦』や『カラマーゾフの兄弟』を読もうとして挫折し、いつか必ずと希望をもって「積ん読く」していますが、挫折の理由の一つは、名前のややこしさにあります。聖書も少しそういうところがあり、昨日はアハブやアラムやなんや分からなくなっていました。訂正しておきました。ご連絡ありがとうございます。(笑)