主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる

静まりの時 イザヤ7・10~17

日付:2023年12月18日(月)

それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。

(14)

北王国イスラエルと、南王国ユダ。神の国は分裂しています。このとき、北王国イスラエルが、アラムの国と同盟を組み、南王国ユダに戦いを挑みました。南王国ユダの王アハズとその民は、この知らせに「林の木々が風に揺らぐように」揺らぎました(2)。

その時、預言者イザヤを通して主は王アハズに語られました。「アラムのレツィン(アラムの王)とレマルヤの子(北王国イスラエルの王)の燃える怒りに、心を弱らせてはならない」(4)と。そうして語られた言葉の中に上記の聖句があります。

神の国を滅ぼそうと迫る脅威に対して、心を弱らせてはならない、主は一つのしるしを与えられる、それは、乙女の懐妊、そしてその出産。その生まれてきた子こそ、インマヌエル、神さまがともにいることのしるしである、と。そう語られたのです。

キリスト教会は、この聖句を引用し、イエスさまのお生まれを祝いました(マタイ1・23)。

幼子こそ、救いのしるしである、と神さまは語られました。軍馬でもなく、戦車でもなく、剣ややり、鉾でもなく、大人の力ならば一ひねりで死に絶えるような幼子。それこそ、神さまの救いのしるしである、と。まさに弱さの中に神さまの救いの完全が現れるのです。

「しかし主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」

(2コリント12・9,10)

自らが誇るとすれば、弱さを誇る、とパウロは語りました。「弱さのうち」に神の力が「完全に」現れるのです。弱さがないところには、神さまの完全は現れない、あるいは、神さまの強さは完全には表れない、のです。

さまざまな弱さを私たちはいただきます。病い、知恵の足りなさ、精神力の弱さ、愛の配慮の欠如、などなど。その現実を見るたびに落ち込みます。自己嫌悪に陥ります。しかしそこにこそ、神さまの強さが現れている。そこにこそ、幼子となってこの地に来てくださった神、インマヌエルの神がともにいて下さいます。

「わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」

(マタイ28・20)

昨日の主の日の礼拝後、女性会では先週作られたシュトーレンの切り分けと包装作業が行われました。今週水曜日に開催のキャンドル・サービスにて、参加者へのプレゼントとして配られます。また男性会ではキャンドルサービスのためのキャンドルの準備が行われました。お疲れさまでした。

シュトーレンの味見をするお誘いをいただいたのですが、変な断り方をしてしまい申し訳ないことをしたと反省しています。後で少しいただくことが出来ました。とってもおいしいシュトーレンでした。

午後は教会学校のクリスマス会が行われました。普段教会学校に来ない子どもたちも参加してくれました。クリスマス賛美とお話、おいしい大学芋とババロア(ゼリー)を食べながらの映画鑑賞、クリスマスツリーの工作、プレゼント、と楽しい時を過ごしました。子どもたちとともに主のご降誕を心からお祝いしました。気温が下がるとの予報でしたが、このほか良い天気が与えられたことも感謝でした。