彼らは彼とともに七日七夜、地に座っていたが、だれも一言も彼に話しかけなかった

静まりの時 ヨブ2・11~13
日付:2023年09月28日(木)

11 さて、ヨブの三人の友が、ヨブに降りかかったこれらすべてのわざわいのことを聞き、それぞれ自分のところから訪ねて来た。すなわち、テマン人エリファズ、シュアハ人ビルダデ、ナアマ人ツォファルである。彼らはヨブに同情し、慰めようと、互いに打ち合わせて来た。
12 彼らは遠くから目を上げて彼を見たが、それがヨブであることが見分けられなかった。彼らは声をあげて泣き、それぞれ自分の上着を引き裂き、ちりを天に向かって投げ、自分の頭の上にまき散らした。
13 彼らは彼とともに七日七夜、地に座っていたが、だれも一言も彼に話しかけなかった。彼の痛みが非常に大きいのを見たからである。
(ヨブ2・11~13)

 ヨブには三人の友人がいました。彼らはヨブに降りかかったすべてのわざわいのことを聞きヨブのところにやって来ました。ヨブに同情し慰めようと、お互いに打ち合わせてやって来ました。ヨブの家に近づいた時、遠くからヨブが見えました。そこにはヨブであることが見分けられないほどのに変わり果てたヨブの姿がありました。彼らは声をあげて泣きました。どう慰めればいいのか分かりません。ただ黙ってヨブの傍らに座りました。それが一週間もの間続いたと言います。
 ヨブの三人の友人。のちに続くヨブと彼らの対話によって、彼らが「同情し、慰める」言葉を持っていないことが明らかになります。それでとかく評判の悪い三人の友人ですが、彼らが特別に劣った人びとであったのかというとそうではないと思います。彼らは、苦しみの中にある友の傍らに、一週間の間、何も言わずに座り続けることをしたのです。私にそれができるであろうか、と思いました。
 苦しみの中にある友。その苦しみを目の当たりにし、それがまるで自分の苦しみのように迫ってくるとき、私たちはその苦しみに耐えることができず、なにかを話し、なにかの行動をしてしまうのではないでしょうか。苦しみの時もあれば、また喜びの時もやって来るに違いない、神さまには私たちの想像を超えたご計画があるのだ、神さまのなさることはすべて益となるのだ、この苦しみによって神さまのご栄光が現れるのですよ、などなど、その苦しみを解釈しようとしたり、おそらく届かないであろうことを薄々感じながらも励ましの言葉を語ろうとするのではないでしょうか。
 何も語らずただその傍らに座るということ。それがどれだけ難しいことであるのか。

 苦しみの中に置かれた者は大なり小なり知っています。自らの出会っている苦しみを、その苦しみを決して担うことのない他者に解釈されてしまうことの痛みや苦しみを知っています。ちょっと黙っててくれへんか、と言いたいけれども、相手は善意に満ちて慰めの言葉を語っているつもりなので、そうも言えません。ほんとうに余計なおせっかいなのですが。
 何も語らずただその傍らに座ってくれる友。それがどれだけありがたい存在であるのか。

 この三人の友は、結局のところヨブを慰めることができないのですが、それはこの三人の友に限ったことではありません。人類は苦しみを前に慰めの言葉を持たない、ということ。それがこのヨブ記2章の終わりで明らかにされているのだと思います。
 まことの慰めは、神さまのお出会いすることによってのみいただくことができる、ということ。それは苦しみが解決されるとか、苦しみに代わってやがて喜びがやってくるとか、そういう慰めではなく、苦しみの只中にあって、その苦しみそのものになんらかの意味を見出す、ということ。それは他人から与えられる言葉ではなく、神さまとの直接のお出会いを通して自らが発見し獲得していく言葉なのだと思います。
 そうであれば、苦しみの中にある者への人間の言葉は虚しいだけではなくときに邪魔になってしまうこともあるのかもしれません。また自らが苦しみの中にあるとき、いたずらに人間の言葉を求めたくなることを自らに戒めなければなりません。一人になって神さまとお出会いする時を大切にしなければならないのだと思います。それは孤独に感じることかもしれませんが、孤立することではありません。むしろ神さまとの豊かな交わりによって、あらためて真実の友を得ていく道に立つことなのだと思います。

「私たちが一人ぼっちの寂しさから行動する時、私たちの行動はいつも簡単に暴力的なものになってしまいます。・・・一人ぼっちの寂しさから愛を探し求める時、口づけは容易に噛みつくことになり、抱擁は殴打となり、心にかけて見ることが疑いの目で見ることになり、聴くことが立ち聞きに、身を任せることが強姦になってしまいます。人間の心は愛を切に求めています。条件や限界、制約のない愛を。しかしどのような人もそのような愛を与えることは出来ません。・・・完全な愛を求めて止むことを知らない私たちの心は、それを創られた御方との交わりを通じてのみ、それを見出すことが出来るということを悟ることから始めなければなりません。」(ヘンリ・ナウエン、『今日のパン、明日の糧』、52頁)

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