静まりの時 第一列王記8・1~9
日付:2023年09月15日(金)
それからソロモンは、イスラエルの長老たち、および、イスラエルの部族のかしらたちと一族の長たちをすべて、エルサレムのソロモン王のもとに召集した。ダビデの町シオンから主の契約の箱を運び上げるためであった。
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イスラエルの長老全員が到着すると、祭司たちは箱を担ぎ、主の箱と、会見の天幕と、天幕にあったすべての聖なる用具を運び上げた。これらの物を祭司たちとレビ人たちが運び上げた。
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祭司たちは、主の契約の箱を、定められた場所、すなわち神殿の内殿である至聖所のケルビムの翼の下に運び入れた。
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箱の中には、二枚の石の板のほかには何も入っていなかった。これは、イスラエルの子らがエジプトの地から出て来たとき、主が彼らと契約を結ばれた際に、モーセがホレブでそこに納めたものである。
(第一列王記8・1~9)
ソロモン王は、神殿が完成すると、定められた場所に「契約の箱」を安置しました。神殿の定められた場所とは、「神殿の内部である至聖所のケルビムの翼の下」のことです。神殿の最も中心的な場所で、人がたやすく入ることのできない神聖な場所、ということでしょう。
教派の考え方に若干の違いがあるのかもしれませんが、こんにちも教会堂の中心には神さまのお言葉が置かれています。神さまのお言葉というとまずは聖書ということですから、聖書が講壇の真ん中に置かれている教会も多いと思います。しかし御言葉なるお方であるイエスさまが真ん中に置かれることを考えると、聖餐卓が中心に置かれる、というのが伝統的な教会の在り方のようです。東方正教会ではこの至聖所にならってでしょうか、イコノスタスと呼ばれる壁から向こうは特別な者しか出入りすることができないとのこと。
この契約の箱の中には、モーセが神さまから授かった二枚の石の板以外は何も入っていなかったことが強調されています。神殿の中心には神さまからの言葉があり、それ以外のものは何もありませんでした。
イエスさまは、もっとも大切な戒めとして、神さまを愛することと、自分を愛するように隣人を愛することの二つの戒めを語られました。石の板が二枚、ということは、十戒の第1~3戒の神を愛すること、そして第5~10戒の隣人を愛することがそれぞれ記された二枚ということでしょうか。その二つを結びつけるように第4戒、すなわち安息日規定があります。
神さまを愛する、自分を愛する、隣人を愛するという三つのようではありますが、隣人を愛すると言った時に、もっとも身近な隣人とは自分自身のことである、ということですから、やはり神さまを愛すること、隣人を愛することの二つの戒めが語られているのです。
それ以外のものは何もない、ということは、もしそれ以外に戒めがあるとすれば、すべてこの二つのことの説明でなければならない、ということでしょう。事細かな戒めも、神さまを愛すること、隣人を愛することの二つの戒めから派生しているはずなのです。礼拝も、教会のさまざまなルールも、この二つの戒めに結び付いているかどうかを、点検することはよいことだと思います。