静まりの時 2022年3月30日(水)
エレミヤ12・10~17
「・・・しかし、彼らを引き抜いた後、わたしは再び彼らをあわれみ、彼らをそれぞれ自分のゆずりの地、あるいは自分の土地に帰らせる。・・・」
(エレミヤ12・15、新改訳2017)
異邦人の侵入により捕囚にあうイスラエル。それは偶像礼拝をするイスラエルへの神さまのさばきでした。しかし神さまはイスラエルに侵入した異邦人「悪い隣国の民」をさばかれます。そうして再びイスラエルをあわれまれ「ゆずりの地」「自分の土地」すなわち約束の地にイスラエルをお戻しくださいます。
苦しみの時に、再び回復されるとの希望の言葉を聞くイスラエル。その言葉を拠り所として、苦しみの時を忍耐するように、神さまは招かれました。
苦しみの時に、苦しみの解決を祈ります。それは忍耐から逃れようとして祈るのではありません。むしろ忍耐ができるようにと解決を祈るのです。「衝動的な生き方から観想的な生き方へ」のなかに次のような一文があります。
「快楽・快適さを求める生き方から、苦しみを受け入れる生き方へ」。
いたずらに苦しみの中にとどまる必要はないと思いますが、私たちはすでにさまざまな苦しみを神さまからいただいているのではないでしょうか。その苦しみの中には、改善できること、改善すべきこともたくさんありますが、改善できないこと、改善することがふさわしいとはいえないことも少なからずあるように思えます。
慢性心不全となって、少し急いで階段をのぼると息切れします。食後は必ずしんどくなります。夜はぐっすり眠れるようになったのですが、それでも数回は起きるようになっています。こういう状態からはやく逃れて、快適な状態になりたいと願うのですが、その願いは焦りになり、ときに平安を奪います。快適さを求める生き方ではなく、苦しみを受け入れるということを考え始めたとき、そういう状態も自分自身なのだと思えるようになり、いたずらな焦りから解放されたような気分になりました。