明日のことまで心配しなくてよいのです

静まりの時 マタイ6・25~34
日付:2024年03月05日(火)

31 ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。
32 これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。
33 まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。
34 ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。

 「神の国」とは、神さまの御支配。「神の義」とは、神さまが正しく振る舞ってくださること。神の国と神の義を求める、とは、まことに神さまが神さまとして今日も一日を豊かにご支配下さり、生きて働いていて下さるその神さまが、神さまらしくお働きになっておられることを発見して生きていくことです。
 私たちが心配するのは、この神さまの御支配と働きが見えなくなってしまうからです。どんなに小さな事柄にも、どんなに大きな事柄にも、まったく神さまとはかけ離れているかに見える事柄にも神さまはその支配の御手を緩めなさることはありません。
 全知全能であり、すべての創造者である神さまは、今日もその圧倒的なお力をもって神さまとしての働きを豊かになされるのです。
 その神さまが、「あなたがたにこれらのものすべてが必要であること」を知っておられます。知っていてくださるのです。そんなものは必要ない、と言われるのではありません。必要であることを知っていてくださるのです。
 だから私たちは心配することを止めて、神さまから与えられている、今日一日の労苦を背負って生きていきましょう。そこに神さまの御支配と神さまが神さまらしく振る舞ってくださることを信じていきましょう。神さまは私たちのさまざまな必要をご存じですから、それらを神さまが備えていてくださることを信じましょう。明日のことまでも心配する必要はありません。明日のことは明日になれば心配すればよいのです。明日という一日自身が心配してくれるのですから。