静まりの時 ヘブル13・12~16
日付:2024年03月02日(土)
12 それでイエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。
13 ですから私たちは、イエスの辱めを身に負い、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。
14 私たちは、いつまでも続く都をこの地上に持っているのではなく、むしろ来たるべき都を求めているのです。
15 それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。
16 善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。そのようないけにえを、神は喜ばれるのです。
「みもとに行こうではありませんか」。「賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか」。
神のみもとに行こう、賛美しよう、と呼びかけます。神さまによって生かされている私たちが為すべきことは、みもとに行くことと賛美を献げること。そのように礼拝を献げること。人間としてなすべき最大のことは、礼拝を献げることです。礼拝こそ人間が人間らしく、神さまによって造られた本来の生を生きるためになすべきことです。
もし私たちがみもとに行くこと、賛美を献げることを後回しにしていくならば、人間らしく生きることが出来なくなってしまう。神さまによって造られた本来の命を生きることが難しくなってしまう。
みもとに行く。みもととはどこであるのか。「それでイエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました」。イエスさまの十字架のところ。そのみもとに行く。イエスさまのみもとに行くとは、十字架のもとに行くこと。「十字架のかげに泉湧き・・・おらせ給え 主よ 十字架のかげに とこしえまで」。
賛美を献げる。イエスさまを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげる。自分の力で献げるのではない。イエスさまを通して献げる。イエスさまが賛美を献げておられる、その御声に合わせて賛美を献げる。賛美は唇の果実。神さまによって造られた唇のなすべき最大のわざは賛美である。
なぜ賛美を献げるのか。「いつまでも続く都をこの地上に持っているのではなく、むしろ来たるべき都を求めているのです」。共同訳2018では「私たちには、この地上に永続する都はありません。むしろ、来るべき都を求めているのです」。死を越えて永遠のいのちに生きる者としていただいた。限りある地上の都ではなく、来るべき永遠の都を待ち望んでいる。だから、目の前で何が起ころうとも、遥か天の御国を見上げて、神さまを賛美しよう。
神さまに賛美のいけにえを献げる者は、「善を行うことと、分かち合うこと」を忘れません。そのようないけにえを、神さまは喜ばれるのです。神さまが喜びとしてくださることを追い求めましょう。