静まりの時 第一ペテロ4・1~6
日付:2024年03月01日(金)
1 キリストは肉において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉において苦しみを受けた人は、罪との関わりを断っているのです。
2 それは、あなたがたが地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。
3 あなたがたは異邦人たちがしたいと思っていることを行い、好色、欲望、泥酔、遊興、宴会騒ぎ、律法に反する偶像礼拝などにふけりましたが、それは過ぎ去った時で十分です。
4 異邦人たちは、あなたがたが一緒に、度を越した同じ放蕩に走らないので不審に思い、中傷しますが、
5 彼らは、生きている者と死んだ者をさばこうとしておられる方に対して、申し開きをすることになります。
6 このさばきがあるために、死んだ人々にも生前、福音が宣べ伝えられていたのです。彼らが肉においては人間としてさばきを受けても、霊においては神によって生きるためでした。
イエスさまが私たちの為に十字架への道で、そして十字架上で苦しみを受けて下さいました。その苦しみを知った私たちは、そのイエスさまと同じ心構えで自分自身を武装します。
武装というのは、外敵に対して様々な武器を身につけるというように感じますが、ここでは外敵ではなく、自分の中にある「異邦人たちがしたいと思っていること」「好色、欲望、泥酔、遊興、宴会騒ぎ、律法に反する偶像礼拝など」のことです。こういった「人間の欲望」ではなく「神のみこころに生きるようになる」。それがキリスト者の新しい生き方です。「罪との関わりを断っている」のですから。
私たちはみな「生きている者と死んだ者をさばこうとしておられる方に対して、申し開きをすること」になります。キリスト者はそのことを知らされた者です。
ですから「地上での残された時」を、「もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるように」していただいたのですから、そのように生きていきたいと思います。
「律法の反する偶像礼拝」とは異教の習慣や他宗教における宗教行為のことではなく、「異邦人たちがしたいと思っていること」「好色、欲望、泥酔、遊興、宴会騒ぎ」のことです。それは「律法の反する偶像礼拝」と聖書は語ります。結局のところ、神さまを礼拝していないということです。
神さまを礼拝しないでいったい何を礼拝しているのか。それは自分自身です。ですからその生き方は、救われる前とちっとも変わらない、いや変わろうとしないのです。
イエスさまの十字架の苦しみに出会ったのならば、その生き方は変わるはずです。変わらなければ、イエスさまの十字架の苦しみに出会ったことにならない、のです。
もう自分自身を礼拝することから自由にされた。自分を愛された存在として自分自身で自分を守る必要がなくなった。神さまが十字架に置いてご自身のいのちを捨てて私への愛を明らかにしてくださったのですから。
私たちは「もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きる」のです。