世々限りなく、星のようになる

静まりの時 ダニエル12・1~4
日付:2023年11月25日(土)

1 その時、あなたの国の人々を守る大いなる君
 ミカエルが立ち上がる。
 国が始まって以来その時まで、
 かつてなかったほどの苦難の時が来る。
 しかしその時、あなたの民で、
 あの書に記されている者はみな救われる。
2 ちりの大地の中に眠っている者のうち、
 多くの者が目を覚ます。
 ある者は永遠のいのちに、
 ある者は恥辱と、永遠の嫌悪に。
3 賢明な者たちは大空の輝きのように輝き、
 多くの者を義に導いた者は、
 世々限りなく、星のようになる。
4 ダニエルよ。あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。多くの者は知識を増そうと捜し回る。」
(1-4)

 「その時」。それはやがてやって来る終わりの時。その時がやってくると、国を守っていた大天使ミカエルが立ち上がるといいます。そして、国が始まって以来、その時まで経験したことのないような苦難の時がやって来るといいます。
 しかしそのような中にあって、「あの書に記されている者はみな救われる」と語られました。
 また「ちりの大地の中に眠っている者」、すなわち死者の「多くの者」が目を覚まし、裁かれる、選別が始まるといいます。

また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。海はその中にいる死者を出した。死とよみも、その中にいる死者を出した。彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。
(黙示録20・12-13)

 「賢明な者たち」、すなわち救いにあずかる者たちは、「大空の輝きのように輝き、
 多くの者を義に導いた者は、世々限りなく、星のようになる」といいます。

「また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。」(黙示録21・1)
「御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。」(黙示録22・1)

 終わりの時とは、苦難の中に神さまによる正しい裁きが行われ、死さえも滅ぼされる時であり、また救いにあずかる者にとっては、大きな報いの時、輝きの時である、と聖書は語ります。
 キリスト者はその時が来るのを知らされています。いつであるかは分かりません。しかし必ずそのような時がやってくることを知らされています。その時を待ち望みつつ、どのような苦難の中にも希望をもって生きる者とされています。終わりの時の苦難は、今まで経験したことのない苦難なのですから、それに比べると、今の苦難は決して乗り越えられないものではありません。どのような苦難の中にあっても、必ず希望の朝がやってくるのです。

「あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。多くの者は知識を増そうと捜し回る。」

 不思議な言葉ですが、神さまの言葉が「封じられる」ことによって、人びとは、捜し回ると言います。

10 すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに「なぜ、彼らにたとえでお話しになるのですか」と言った。
11 イエスは答えられた。「あなたがたには天の御国の奥義を知ることが許されていますが、あの人たちには許されていません。
12 持っている人は与えられてもっと豊かになり、持っていない人は持っているものまで取り上げられるのです。
13 わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らが見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、悟ることもしないからです。
(マタイ13・10-13)

 たとえとして語られることは、隠されたこと、奥義として語られることである、その目的は、人びとへの探求心を掻き立てるため、とも読めるのかな、と思いました。一方的に与えられたものは、表面的な理解に終ってしまいます。しかし飢え渇きをもって求め、そうして手にしたものは、宝物となります。

10 また私に言った。「この書の預言のことばを封じてはなりません。時が近いからです。
・・・
18 私は、この書の預言のことばを聞くすべての者に証しする。もし、だれかがこれにつけ加えるなら、神がその者に、この書に書かれている災害を加えられる。
19 また、もし、だれかがこの預言の書のことばから何かを取り除くなら、神は、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、その者の受ける分を取り除かれる。
20 これらのことを証しする方が言われる。「しかり、わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。
21 主イエスの恵みが、すべての者とともにありますように。
(黙示録22・10-21)

 いま、終わりの時に向かうこのとき、神さまは、「この書の預言のことばを封じてはなりません」と言われました。神さまのお言葉は、隠されていません。
 十字架と復活の御業をもって、罪に、そして死に勝利されたイエスさまが、ともにいてくださいます。そして最終的な帳尻合わせの時に備えておられます。私たちはその時を知らされているのですから、みことばを封じることなく、大胆に愛と希望のみことばを語りたいと思います。

 今週は、教会とは直接かかわりのない方々でしたが、いくつかの葬儀であわただしく過ごしました。ご遺族の慰めを祈りつつ、永遠の命への希望を思いめぐらす一週間でした。以前のようにすべて対応するのが体力的に難しくなりましたので、同労者が一緒にいてくださることで大きく助けられています。