静まりの時 ゼパニヤ3・14~20
日付:2023年11月27日(月)
14 娘シオンよ、喜び歌え。
イスラエルよ、喜び叫べ。
娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。
15 主はあなたへのさばきを取り除き、
あなたの敵を追い払われた。
イスラエルの王、主は、
あなたのただ中におられる。
あなたはもう、わざわいを恐れることはない。
16 その日、エルサレムは次のように言われる。
「シオンよ、恐れるな。気力を失うな。
17 あなたの神、主は、あなたのただ中にあって
救いの勇士だ。
主はあなたのことを大いに喜び、
その愛によってあなたに安らぎを与え、
高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」と。
(14-17)
喜び歌う、喜び叫ぶ、喜び躍る。喜びの内に歌い叫び躍ること。神さまへの礼拝の姿です。
喜びは、強制されてできるものではありませんが、神さまがそのように命じてくださるので、神さまによって造られた人間は、神さまのお言葉通り、喜びに生きる者とされます。神さまは、私のうちに、喜びを創造してくださるのです。
その喜びの根源は、主が主御自身による私へのさばきを取り除かれたこと、私の敵を追い払われたことにあります。
私たちへの神さまのさばき、そして同時に私たちの敵とはいったいなんでしょう。それは、私たちの内にある罪であり、その罪からくるさまざまな苦しみや滅びの姿だと思います。神さまは、主イエスさまをこの地に遣わし十字架と復活の御業によって、私たちの罪を赦し、また罪からくるさまざまな報いを解決してくださいました。私たちは、その神さまの御業によって、喜ぶ者とされたのです。
私たちの王であり、主であるお方は、私たちのただ中にいてくださいます。そして私たちのただ中にいることを喜びとしてくださいました。
主は私たちを大いに喜んでいてくださるのです。主は御自身の愛によって、私たちに安らぎを与えて下さいます。私たちは、この主の愛によって安らぎを得るのです。主の愛のみが私たちにまことの安らぎを与えます。そして主御自身が、高らかに歌って、私たちのことを喜んでいてくださいます。
主が私たちを喜んで高らかに歌っておられる。喜び歌う私たちは、その歌声を聞きながら、私たちの歌声が主の歌声を一つになることを、また喜んでいます。私たちが、礼拝で賛美を捧げる時、神さまは、私たちが歌うのをじっと聞いておられる審査員ではありません。聖歌隊のリーダーとして、一緒に歌っていてくださるのです。私たちの歌声が、どんなに音程が外れ、リズムがいまいちでも、主イエスさまの歌声があまりにもすばらしいので、私たちの歌声さえも、なんだか、いけてる~ということにならせていただけるのです。なんと素晴らしいことでしょう。
「気力を失うな」(16)。新改訳の欄外の註には「手を垂れる」とありました。手を垂れる、手を下げる、祈りの手を降ろしてしまう、ということかもしれません。気力を失わない、勇気を持ち続ける、それは常に祈りの手を上げている、ということでしょう。喜んでいてくださる主イエスさまが、私たちの、そして私の内にいてくださるのです。いつも主を喜び、祈りの手を上げていたいと思います。
「その愛によってあなたに安らぎを与え」(17)。新共同訳では「愛によってお前を新たにし」、共同訳2018では「愛をもってあなたを新たにし」。新改訳の欄外の註には「を黙らせる」とありました。
この原文の単語の意味として珠書には以下のように書かれていました。
(1)刻む、切り込む、彫る、耕す、工夫する、耕される、悪をたくらむ
(2)黙する、無口になる、 黙っている、静かにする、鎮める、黙ってい続ける
おそらく、新改訳では、神さまの愛によって心を鎮めていただくということから、安らぎを与え、と訳されているのかもしれません。新共同訳や共同訳2018では、刻む、とか耕すということから、新たにすると訳されているのかもしれません。
私はこの、黙する、という言葉が心に響きました。
神さまの愛の中に自らを静かに置くこと。神さまによって心を静かにしていただくこと。そうして神さまの愛を深く味わい、そこから私たちが変えられていく道が生まれます。
心が静かになって、神さまの愛を受け止めるスペースができるのです。さまざまなもので心が肥満し、それらが混乱し、錯綜しているとしても、それらをいっさい脇において、神さまの前に、黙する、のです。
暖かい飲み物を手にし、その器からくる温かさを両手で感じながら、飲み物を飲むとき、その飲み物の温かさから唇に触れ、口内で味わい、喉を通って、少しずつ全身に広がっていきます。静かな心で、その温かさを味わいます。
私たちが心と体を静かにしたとき、神さまの愛が少しずつ私たちの全身に広がります。過ぎ去ったことごとへの後悔や、将来に向かっての不安も、すべてを脇において、いまここで、このとき、主の愛を味わうのです。主が私のことを喜んでいてくださること。生かされていること、小さなかかわりの中にあって共に生かされている幾人もの方々の愛。
空調の音の中、外から小鳥の鳴き声が聞こえてきました。