静まりの時 出エジプト記17・8~16
日付:2023年09月12日(火)
主はモーセに言われた。「このことを記録として文書に書き記し、ヨシュアに読んで聞かせよ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去る。」
(出エジプト17・14)
イスラエルの民はモーセに率いられてエジプトを出発しました。その途上で「アマレク」が出て来てイスラエルのまえに立ちはだかり戦いが起こりました。モーセはヨシュアに、兵を集めて戦いをするように命じ、自分は丘の頂に立って祈る、と告げます。モーセの祈りの手が高く上げられているとイスラエルが優勢になり、重くなって下がってくると劣勢になります。アロンとフルがモーセの手を支えます。そうしてヨシュア率いるイスラエルは、アマレクに勝利しました。
神さまはこの出来事を記録として文書に書き残しなさい、と言われました。またヨシュアに読んで聞かせなさい、と言われました。戦いがどのように勝利に導かれたのか。確かにヨシュアたちは最前線で戦いましたが、実はもう一つの戦いが並行して行われていました。モーセの祈りの戦い、そしてそれを支えたアロンとフルの存在。そのもう一つの戦いを、ヨシュアに、またヨシュアと共に戦った人びとと分かち合うようにされたということでしょう。こののちさまざまな戦いを経験してくイスラエル、そしてモーセが天に帰った後そのイスラエルの指導者となるヨシュア。自分たちの戦いは、この世の戦いとどのように同じで、どのように違うのかを忘れないということ。
人生の戦いが、この世の戦いとどのように同じで、どのように違うのかを忘れない。そのために記録が書き記され、朗読される、ということ。聖書は、その記録の集大成です。私たちがさまざまに経験する人生の戦いにおいて、どのように戦えばよいのかは、すべて聖書が語っています。
第一サムエル記15章には、再び起こったアマレクとの戦いの様子が記されています。サウルに率いられたイスラエルは勝利しますが、アマレクのすべてを聖絶せよ、との主の言葉に対してサウルは良いものを惜しんで、つまらない値打ちのないものだけを聖絶しました。このことはサウルの末路を決定してしまいました。サウルは神さまから見放されることとなったのです。イスラエルの戦いは、この世の戦いとは違い、神さまの戦いであるということが見失われてしまって、人間の出来事だけになってしまうと、すべてのものを聖絶せよという神さまの命令が、軽くとらえられてしまう、ということかもしれません。サウルが、モーセの戦いの記録をしっかりと読んでいて、それに従おうとしていたなら、今回の戦いも神さまが勝利をもたらしてくださったことをしっかりととらえることができたかもしれません。
私たちも様々な戦いを経験することですが、並行して行われている戦い、すなわちとりなしのイエスさまがおられること、イエスさまの御手が高く掲げられていることを見失わないようにしましょう。神さまは私たちとともに歩んでいてくださいます。
「シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22・31,32)
したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。(ヘブル7・25)