板は両面に、すなわち表と裏に書かれていた。

静まりの時 出エジプト記31・18、32・15~16
日付:2023年09月11日(月)

こうして主は、シナイ山でモーセと語り終えたとき、さとしの板を二枚、すなわち神の指で書き記された石の板をモーセにお授けになった。
(出エジプト31・18)

モーセは向きを変え、山から下りた。彼の手には二枚のさとしの板があった。板は両面に、すなわち表と裏に書かれていた。その板は神の作であった。その筆跡は神の筆跡で、その板に刻まれていた。
(出エジプト32・15,16)

 神さまから「さとし」が与えられました。それは語られたもの、であると同時に「刻まれたもの」でもありました。語られたもの、が刻まれたものとして残された、ということかもしれません。語られたものは、その場で消えてしまいます。しかし刻まれたもの、書かれたものは、その後、読み返すことができ、また他の者が、それを読むことができます。
 神さまから与えられたさとしとは、十戒、のことであり、その十戒が説明されている言葉です。それは二枚の石の板に記されました。そして板の両面に書かれていました。神さまご自身が書かれたもの、神さまの筆跡で刻まれたものでした。

 新改訳2017で「さとし」と訳されている言葉は、新共同訳では「掟」、共同訳2018では「証し」。ちなみに新改訳第2版、3版では「あかし」。いずれにも意味があるのだと思います。私たちをさとすものであるとともに、守るべきルール、そして神さまが確かにおられることを証しするもの。戒めるものであるとともに、私たちを活かすものです。

 石の板二枚には神さまの筆跡で表裏に書かれてしました。人間が書き加える余白はありません。十戒には、私たちを活かす必要十分なことばが記されているのです。

「わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。」(マタイ5・17)

「私は、この書の預言のことばを聞くすべての者に証しする。もし、だれかがこれにつけ加えるなら、神がその者に、この書に書かれている災害を加えられる。また、もし、だれかがこの預言の書のことばから何かを取り除くなら、神は、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、その者の受ける分を取り除かれる。」
(黙示録22・18,19)

 聖書は釈義し解釈し適応されるものですが、それは付け加えることでも省くことでもないことを大切にしなければなりません。