この場所にわたしは平和を与える

静まりの時 ハガイ2・3~9
日付:2023年08月11日(金)

9 この宮のこれから後の栄光は、
 先のものにまさる。
 ──万軍の主は言われる──
 この場所にわたしは平和を与える。
 ──万軍の主のことば。』」
(ハガイ2・9)

〔新共同訳〕
この新しい神殿の栄光は昔の神殿にまさると
万軍の主は言われる。
この場所にわたしは平和を与える」と
万軍の主は言われる。

〔共同訳2018〕
この新しい神殿の栄光は以前のものにまさる
――万軍の主は言われる。
この場所に私は平和を与える――万軍の主の仰せ。」

 エルサレムの神殿は、ソロモンの建てたもの、捕囚後にエズラたちが再建したもの、そしてヘロデが建てたもの、の三つが聖書に登場すると思います。このうちヘロデが建てたものは、新たに建てたというよりも、大幅に改築したと言うのがふさわしいかもしれません。

 預言者ハガイは、バビロン捕囚後の最初の預言者ということですから、ハガイ書に登場する宮(神殿)は、このうち捕囚後のエズラたちが再建したもの、ということになります。
 エズラたちが再建することになる神殿の礎が据えられた時の様子は、次の通りです。

10 建築する者たちが主の神殿の礎を据えたとき、イスラエルの王ダビデの規定によって主を賛美するために、祭服を着た祭司たちはラッパを持ち、アサフの子らのレビ人たちはシンバルを持って出て来た。
11 そして彼らは主を賛美し、感謝しながら
 「主はまことにいつくしみ深い。
 その恵みはとこしえまでもイスラエルに」
と歌い交わした。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな主を賛美して大声で叫んだ。
12 しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、以前の宮を見たことのある多くの老人たちは、目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた。
13 そのため、喜びの叫び声と民の泣き声をだれも区別できなかった。民が大声をあげて叫んだので、その声は遠いところまで聞こえた。
(エズラ3・10~13)

 神殿の礎が据えられた時、二種類の涙が流されています。悲しみの涙と喜びの涙。今回エズラたちによって再建されようとしている神殿は、以前に建てられていたソロモン神殿の荘厳さに比べると、ちょっとしょぼかったのだと思います。もちろん今回の神殿も引けを取らない荘厳さがあったはずですが、ソロモンの神殿と比べるならばどんな神殿もしょぼく見えることでしょう。それで「以前の宮を見たことのある多くの老人たち」は、「大声をあげて泣」きました。「一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げ」ました。喜びの叫びと民の泣き声がだれにも区別できなかった、といいます。暗雲の垂れ込める礎石の式典でした。

 しかし預言者ハガイは主のことばを語りました。
「この宮のこれから後の栄光は、先(以前)のものにまさる」。すなわちソロモンの神殿にまさる神殿なのだ、と語ったのです。
 ソロモンの神殿にまさる神殿。それは「この場所にわたしは平和を与える」と神さまが言われる神殿です。ソロモンの神殿は世界に類を見ない荘厳さがあったのだと思います。しかしそれはどこか戦いを予感させる、権力、軍事力の象徴のような神殿だったのかもしれません。しかし新しい神殿は、神さまの平和に満ちた神殿である、というのです。見かけは貧相かもしれません。しかしそこに主の平和が、主の平安がある、それが、以前の神殿にまさるところなのだ、と。
 主の平和、平安がなければ、どんなにこの世の力に満ちていたとしても、すぐれていないのです。逆に主の平和、平安があるならば、見かけはどうであれ、そこに「まさるもの」があるのです。

平和こそ正義

「いわゆる正義の戦争よりも、不正義の平和の方がいい」(井伏鱒二)、たしかにそうです。それは決して正義を軽んじているからではありません。戦争をせねばならぬほどの正義も、平和を破らねばならぬほどの不正義も人の世にはないからです。殺し会ってまでして守らねばならぬ正義、私たちはいつからこんな錯覚を抱くようになったのでしょう。唯一の神を見失い、それぞれが小さい神々に成り上がり、自己流の正義を振回しはじめた時からでしょうか。平和こそ正義です。唯一の神を信じるものには、鮮やかにそれが見えます。

(藤木正三、『神の風景 人間と世間』、ヨルダン社、1985年、139頁)