静まりの時 詩篇4・1~8
日付:2023年08月08日(火)
7 あなたは喜びを私の心に下さいます。
それは 彼らに穀物と新しいぶどう酒が
豊かにある時にもまさっています。
8 平安のうちに私は身を横たえ
すぐ眠りにつきます。
主よ ただあなただけが
安らかに私を住まわせてくださいます。
(詩篇4・7,8)
他の訳では
●協会訳口語訳
7 あなたがわたしの心にお与えになった喜びは、
穀物と、ぶどう酒の豊かな時の喜びに
まさるものでした。
8 わたしは安らかに伏し、また眠ります。
主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、
ただあなただけです。
●新共同訳
8 人々は麦とぶどうを豊かに取り入れて喜びます。
それにもまさる喜びを
わたしの心にお与えください。
9 平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。
主よ、あなただけが、確かに
わたしをここに住まわせてくださるのです。
●共同訳2018
8 あなたは私の心に
穀物と新しいぶどう酒の豊かな実りにまさる喜びを
与えてくださいました。
9 平安のうちに、私は身を横たえ、眠ります。
主よ、あなただけが、私を
安らかに住まわせてくださいます。
神さまの与えてくださる喜びは、穀物(麦)とぶどう酒が豊かに実る喜びにまさるものである、と詩篇の著者は語ります。
これは、穀物とぶどう酒が豊かにある、ということがどんなに喜びにあふれたことであるか、を知っている人の言葉です。バニラアイスがこの上なくおいしいということを知っている人が、はじめてチョコチップアイスを食べた時に、これはバニラアイスよりもおいしいですね、というならば、チョコチップアイスが如何においしいかということが明らかにされています。もしバニラアイスを食べたことのない人、あるいはバニラアイスをそんなにおいしいと思っていない人が、これはバニラアイスよりもおいしいですね、といったところであまり意味がありません。
つまりこの世が与える喜びを十分に知った人が、神さまの与えてくださる喜びに出会った時に、それはこの世にあるどのような喜びにもまさるものである、と告白した、ということでしょう。
この世の与える喜びに幻滅して、ほかに喜びも見いだせないので、とりあえず神さまの与えてくださる喜びに憩う、というのではないのです。神さまの与えてくださる喜びは、かけがえのないもの、なくてはならないもの、そしてこれさえあれば大丈夫、というものなのです。
しかし、私たち罪びとは、いったい私にとって何が喜びであるのか、を知っているのでしょうか。私が、これが喜びである、と思ったことが、本当に私の喜びだったのでしょうか。喜びとは、本当に私を生かすものである、と思います。もしその喜びが私を結果的に滅ぼしてしまうもの、あるいは私だけではなく、ともに生きる人びとをも生きづらくさせるもの、滅ぼしてしまうものであるならば、喜びとは言えないはずです。
私の喜びとは何か。それも神さまの教えていただかなければなりません。神さまが教えてくださる喜びこそ本当の喜びなのですから。
この神さまの与えてくださる喜びをいただいている者は、平安(平和)のうちに身を横たえ眠ります。安らかに生かしてくださるのは、神さまだけなのです。