静まりの時 イザヤ2・1~5
日付:2023年08月07日(月)
1 アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて見たことば。
2 終わりの日に、
主の家の山は山々の頂に堅く立ち、
もろもろの丘より高くそびえ立つ。
そこにすべての国々が流れて来る。
3 多くの民族が来て言う。
「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。
主はご自分の道を私たちに教えてくださる。
私たちはその道筋を進もう。」
それは、シオンからみおしえが、
エルサレムから主のことばが出るからだ。
4 主は国々の間をさばき、
多くの民族に判決を下す。
彼らはその剣を鋤に、
その槍を鎌に打ち直す。
国は国に向かって剣を上げず、
もう戦うことを学ばない。
5 ヤコブの家よ、
さあ、私たちも主の光のうちを歩もう。
(イザヤ2・1~5)
先の大戦において日本が敗戦した日が1945年8月15日ということですが、実際に人びとの生活に平和が実現したのは、それ以降のことです。それになぞらえて、イエスさまの十字架と復活によるまことの平和は二千年前に完了したのですが、なおこの地には完全な平和はありません。完全な平和が実現するのは「終わりの日」です。
「苦難の経験を通して人間はアドベント(救済待望)的になる。私たちはそこで、あらゆる苦しみのただ中に到来し、勝利してくださったメシア(救世主)が再び来てくださることをひたすら待ち望むアドベント的人間になる。そしてそのことはさらに、世界そのものを救済待望的に見ることをも意味する。世界の希望は現状肯定の中にあるのでも、楽観的な進歩史観にあるのでもなく、到来する御国の約束の中にある。それが世界の正典的解釈である。」
(芳賀力、『神学の小径5』、29頁)
終わりの日にはまことの平和がやって来ます。その日を私たちは待ち望んでいます。
その日は、「多くの民族」が主の下にやって来ます。主はすべての国を裁かれます。すべての国は、もう戦うことを学びません。主が実現してくださる平和は局地的な平和ではなく、全世界の平和です。その時を待ち望みながら、イザヤはあらためてイスラエルに向かって「さあ、私たちも主の光のうちを歩もう」と呼びかけました。
暗やみしか知らなかったときは、やみくもに戦うことを学ぶ者でした。しかしアドベント的人間にならせていただいた私たちは、主の光がさし込むことを知らされました。暗やみの中にも、主の光を信じて、光のうちを歩みたいと思います。
「慈しみ深く愛に満ちた神よ。あなたが私たちに惜しみなく与えてくださった数々の祝福のゆえに、あなたに感謝します。
私たちが平和の道を歩むとき、あなたが共にいてくださることを感謝します。
・・・
私たちが互いの中にあなたの像を見ることができるように助けてください。私たちに力を与えて、真理のために立ち上がり、すべての人間の尊厳を尊重することができるようにして下さい。そしてただあなただけに、栄光と誉れが今も永遠にありますように。
アーメン」(「サビールの祈り」より、ナイム・スティファン・アティーク、『サビールの祈り―パレスチナ解放の神学』、教文館、2019年、231頁)